財界九州ONLINE本誌記事、財九NEWS、本誌関連イベント等を対象としたサイト内検索が可能です。
-
財九NEWS 長崎 福岡市 交通 離島航路
2024年04月30日
高速新造船「待ったなし」建造費急騰
離島をつなぐ高速船「ジェットフォイル(JF)」が老朽化し、新船への更新が急務となっているが、全国の運行事業者は更新計画を立てられずにいる。JFは、「海を飛ぶ船」と呼ばれ、水中翼を使って船体を海面から浮上させ、ジェットエンジンを使って進む。 JFの耐用年数は35~40年程度とされているが、現在、1都4県で18隻就航しているうち、17隻が約30年を経過している。更新が進んでいない理由が、コロナ禍の影響と建造費高騰だ…
-
本誌記事 目次
2024年05月号
2024年5月号
-
財九NEWS 福岡市 企業 KMGホールディングス
2024年04月26日
福岡県交通遺児を支える会に寄付金
自動車販売会社のKMGホールディングス(福岡市)は、福岡県交通遺児を支える会に寄付金を贈呈した。2021年に九州三菱自動車販売が創立70周年を迎え、その記念プロジェクトの一環として、グループ会社全体で寄付活動を毎年行っている。昨年に続いて、23年4月から24年3月までの1年間の同社の新車・中古車の販売台数から換算し積み立てた寄付金を、グループ会社が所在する各県の福祉団体に贈呈している。福岡県では「福岡県交通…
-
本誌記事 連載(リポート・コラム・その他)
2024年05月号
閑人閑話「終活」
80歳を超すと、やはり「終活」という文字が目についてくる。「人生100年時代」だから、あと20年ほどもあるなどと悠長に構えてはおれまい。この年になると体調に突然、異変が起きてもおかしくないのだ。見回せば、書斎には書籍や書類、趣味の音楽CD・DVDなどが山積している。これをそのまま残して逝ったのでは、家族に負担をかけるに違いない。また多少の預貯金などを持っていれば、その相続をめぐり家族間のトラブルを引き起こ…
-
本誌記事 連載(リポート・コラム・その他)
2024年05月号
Two of Us/笠 清太・三好不動産 取締役/ミヨシアセットマネジメント 社長 × 西村 淳・ten 社長
時代の先をにらみ、複数の事業を切り回すマルチな経営者として脂の乗った同年代の二人が出会ったのは、今から10年以上前の30代のころ。共通の知人から「面白い人がいる」と誘われ会ってみると、たまたま同じビルの同じフロアに事務所を構える別々の会社に務めていた。共にビジネスの拠点とする福岡市は、若い経営者が集い、競い合うスタートアップ都市としても知られる。そんなフィールドで、パワフルに事業の創出に挑み続ける…
-
本誌記事 連載(リポート・コラム・その他)
2024年05月号
KAIL/北洋建設(地域みらいグループ)社長 脇山章太氏(9期)/西部ガス 福岡リビング営業部 浅尾尚文氏
KAILの卒塾生は、組織・社会・地域を変革し発展させるため、切磋琢磨し続け、日々奮闘する。「人財の森」に共通する志は「ギフトを社会へ返す」こと。KAILでの学びがリーダーシップの旅を歩む中でどのように活かされたか。卒塾生が軌跡を語る。 九州・アジア経営塾(KAIL) 九州の産学官が連携して設立した特定非営利活動法人(橋田紘一塾長)。各企業・団体の中核の人材を対象とした「碧樹館(へきじゅかん)プログラム」を運営…
-
本誌記事 連載(リポート・コラム・その他)
2024年05月号
九州大相撲伝「日本統治下の朝鮮咸鏡南道洪原郡出身 力道山光浩(3)」
力士を廃業して土方になった力道山 力道山の大相撲力士廃業について、親しかった在日二世で元プロ野球選手の張本勲氏が、「なぜ自分で髷をきったんですか?」と尋ねたら、「親方と喧嘩した。親方に結婚するから金を貸してほしいと相談したら、親方の返事は渋く、嫌な顔をされた。それで、将来、大関、横綱になりますから、と言ったら、朝鮮籍の力士は大関、横綱にはなれないんだ、と言われたので、台所へいって包丁で髷をぶち…
-
本誌記事 連載(リポート・コラム・その他)
2024年05月号
食楽園「進化する『替え玉』。〔一風堂〕からクラフトビールとなって発売!」
博多の長浜ラーメン屋台で生まれ、いまや海外にまで広まった「替え玉」。麺だけをお替わりすることだが、ついにクラフトビール「KAEDAMA ALE(カエダマ エール)」にまで進化し、昨年8月〔一風堂〕から発売された。 「替え玉」と「ビール」がなぜ結び付くのか。まずは岩波書店『広辞苑』から「替え玉」を引いてみたい。 かえ︲だま〔替え玉〕 (1) 本物のように見せかけてその代わりに用いる偽物。 (2) 本人だと偽…
-
本誌記事 連載(リポート・コラム・その他)
2024年05月号
九州の志士「安川財閥の創始者『安川敬一郎』」
炭坑事業への参画 坑夫から炭鉱王へ 安川敬一郎は慶應義塾を中退して炭鉱事業に参画したものの、当時の炭鉱事業は不振の時期でもあり、さらに石炭業に関する知識や経験があったわけではなかった。そこで安川敬一郎は、約3年間、坑夫と生活をともにして実地を経験した。 氷川隠士著『実業家立身傳』によれば、77(明治10)年に筑豊の炭鉱を巡視していた外国人技師に安川敬一郎は自身の炭鉱を評価してもらった。その際、「此…
-
本誌記事 連載(リポート・コラム・その他)
2024年05月号
DATAでみる九州「宿泊稼働指数」
今年2月全国の宿泊稼働指数は3カ月ぶりにマイナス 都道府県別では宮崎県がプロ野球キャンプでトップ