継営者「事業の灯を絶やさないために」ホテル日航福岡 社長 太田禎郎氏
2026年09月20日
九州勧業の「太田家」と聞けば、近代福岡の発展を支えてきた家系として思い浮かべる人も少なくないだろう。金融や交通、商業などを通じて地域に尽力し、現在は不動産事業を中核とする。その太田家が、太田和郎氏(故人)の時代に開業したのがホテル日航福岡だ。現在、そのホテルを率いる長男・太田禎郎社長は、家業を継ぐつもりはなく、24年間、大手ゼネコンで会社員として歩んだ。父の逝去を機に人生は一転。理屈を超えた承継の決断と、その経営観に迫る。
「『自分が背負う』と腹を決めました」
山口 太田社長は、幼い頃から「家業を継ぐ」という意識はお持ちだったのでしょうか?
太田 全くありませんでした。ただ「太田家」という意味では、幼いながらに他の家庭とは少し違うという感覚はありました。特に印象に残っているのが、祖父・太田辯次郎の葬儀です。第64代内閣総理大臣を務められた田中角栄さんにも参列いただくなど、子どもの私にも分かるほど大きな葬儀で「すごい人なんだ」と感じたことを覚えています。ただ、それが自分自身の将来や家業を継ぐという意識につながることはありませんでした。
山口 実際、大学卒業後は、新卒から24年間にわたって大手ゼネコンの鹿島建設に勤められていますね。
太田 進路について両親から細かく言われることはほとんどなく、大学時代も周囲と同じように就職活動をしていました。実は、あるオーディオメーカーから内定をいただき、自分としてはそこに就職するつもりでいたんです。
ところが、父・太田和郎に報告すると、返ってきたのは「それは認めない」という思いがけない言葉でした。そして、鹿島建設を勧められまして、私としてはかなり驚きましたが、自分の中に「どうしてもオーディオメーカーで仕事がしたい」という強い信念があったわけでもなかったので、父の言葉を受け入れ、鹿島建設に入社することになりました。
山口 お父さまは、なぜ鹿島建設を勧められたのでしょうか。
太田 それは今もはっきりとは分かりません。ただ、今振り返ると、家業の大元である九州勧業が不動産事業を展開していることもあり、いつか私が家業に関わることになった時に、ゼネコンでの知識や経験を生かしてほしいという親心があったのかもしれません。そう考えると、父なりに私の将来を見据えていたのかなと思います。
山口 となると24年間、関東での会社員生活から一転し、福岡へ移り家業を継ぐことになった転機は何だったのでしょうか。
太田 2015年に父が亡くなったことです。その後、叔父に当たる現会長の太田輝幸(当時社長)から「あなたが後を継いでくれ」という大変重たいお話を頂きました。自分が家業を継ぐイメージなどしたこともなかったので、本当に驚きました。
山口 まさに突然、人生の選択を迫られたわけですね。
太田 相当悩みましたね。ずっと関東で暮らしてきましたし、このまま鹿島建設で勤め上げる人生もあると思っていましたので。ただ一方で、父が福岡を愛し、人生を懸けてホテル日航福岡の開業に携わってきたことも知っていました。そう考えると、太田家が代々受け継いできた事業の灯を、自分の代で絶やすわけにはいかないという気持ちも強くなり、他に適任者がいないのであれば、「自分が背負う」と腹を決めました。
山口 背中を押したのは、損得や理屈ではなく、太田家が受け継いできた事業を自分が次につなぐという覚悟だったのですね。
太田 人生というのは本当にわからないものです。おっしゃるように決断というのは理屈を超えたところにあるのかもしれません。
「思いを早く真っすぐ社員に届ける」
山口 それから、実際に家業へ戻られ、最初に何を感じましたか。
太田 最初は九州勧業の役員として入社したわけですが、これまで建設現場でハードに働いてきた私からすると、週休2日で残業もほとんどない働き方は、正直、ずいぶん悠長に見えました。ただ、会社のことを知るにつれて、その見方は変わっていきました。先人たちが代々受け継いできた資産を大切に守り、堅実に運用してきたからこそ、今の経営が成り立っています。5代目の太田清藏が「勤倹貯蓄」という言葉を残していますが、派手なことに走らず、着実に積み重ねていく。その精神が会社の根底に脈々と受け継がれているのだと、次第に理解するようになりました。
山口 承継では、変えることを急ぐ前に、まず守られてきた理由を理解する。その順番が大切なのでしょうね。その後、ホテル日航福岡の社長にも就任されます。これまでとは違う畑で戸惑いもあったかと思われますが、最初に取り組んだことは何だったのでしょうか。
太田 まずは現場を回ることでした。社員に自分の顔を覚えてもらい、私自身も現場を知る。そこから始めました。ホテルは勤務時間が部署によって異なります。自分が不在の時間に勤務する社員の働きぶりや、会社や仕事への思いは感じ取りにくいものがありました。また、トップダウン、ボトムアップの双方で情報伝達に多大な時間がかかることも気になっていました。私は経営側の思いを全社員に浸透させ、共通認識をつくるにあたり、リードタイムは短ければ短いほどよいと思っています。そこで、まずは仮眠室やシャワー室、イントラネットなど社員の働く環境の基盤整備から着手しました。また、それと同時に着手したのが、社訓をつくることです。会社が何を大切にし、どこを目指すのか。その軸を言葉にし、社員と共有する必要があると考えたからです。さらに、会社方針説明会を開き、経営の考えや会社の状況をデータとともに社員へ直接伝える機会も設けました。経営側の思いをできるだけ早く、真っすぐ社員に届ける。そのための仕組みと伝え方を大きく変えていきました。
山口 経営の思いを迅速に届ける仕組みと、社員が立ち返る理念。その両方を整えたわけですね。その上で、事業を承継した者が一番難しいと感じるのが「変えなければならないもの」と「変えてはいけないもの」をどう見極めるかです。
太田 そうですね。私は従来のやり方の良い部分にまず目を向け、その上で新たな価値を加えてみようという考え方で経営してきました。急にハンドルを切っても、うまくいかないことは会社員時代の経験から分かっています。長い歴史の中で出来上がったやり方には、それなりの理由が必ずあります。まず、それを理解する。そして、お互いが共通言語で話せるようになってから、少しずつ手を加えていく方が結果的にはうまくいくことが多いように思います。
山口 同感です。正しさや理屈を説いても、人の感情を置き去りにしては組織は動きません。相手を理解し、納得や共感をつくりながら同じ方向を向いていくことが大切なのでしょうね。
太田 VS(バーサス)構図が存在する中で、うまくいくことはほとんどありません。それは社員だけでなく株主に対しても同じです。相手が何を考えているのかを理解し、対話を重ねながら、どう協力関係を築いていくのか。そこには、会社員時代の経験がかなり生きていると思います。
「リーダーの役割は“引き出す”こと」
山口 2017年の社長就任から、まもなく10年です。改めて伺いますが、太田社長にとって「会社を経営する」とは、どういうことでしょうか。
太田 経営はチームで行うものだと思っています。各部門で能力を発揮するメンバーと一緒に会社を動かし、それぞれの意見を聞きながら判断を下す。それが組織を動かす原動力だと考えています。
山口 その組織を動かすという意味では、リーダーシップのあり方も変わってきています。太田社長が考える今の時代のリーダーシップとは。
太田 先ほどの話と重なるかもしれませんが、まずは「聞く」ことを意識しています。特に若い社員はさまざまな情報に触れているので、意見を求めると面白い発想がたくさん出てきます。ディナーショーや食のフェアなども、今では若手や女性社員が中心です。リーダーの役割も、「指示する人」から「力を引き出す人」へ変わってきているように思います。
山口 なるほど。これからのリーダーに問われるのは、やはり自分が先頭に立って答えを出す力以上に、軸を定めて一人一人の可能性を引き出し、それを組織の力へと昇華させることなのでしょうね。
太田 本当にその通りです。経営者が会社として大切にする軸を示した上で、それぞれが自分で考え、判断し、動ける組織にしていく。特にホテルは現場の一人一人がお客さまと向き合う仕事ですから、社員が自ら考えて動けることが、サービスの質にも会社の力にもつながっていくと思います。
「このホテルをより良い形で次代へ託す」
山口 そうした組織づくりの先に、ホテル日航福岡のどのような未来を描いていますか。
太田 福岡のホテル市況は、外資系ホテルの進出もあり、競争がさらに激しくなっています。だからこそ、私たちのように地域に根差す日系ホテルが、それぞれの発展だけを考えるのではなく、ともに力を合わせ、日本ならではのおもてなしの精神やホテル文化を守り、その価値を未来へつないでいくことが大切だと思っています。そして何より、太田家が連綿と紡いできた歴史とともに、このホテルをさらに磨き、より良い形で次の世代へ託していくことが、今を預かる私の責任であり、覚悟だと思っています。
山口 その覚悟こそが、まさに“継営”なのだと思います。本日はありがとうございました。