【継営者】上村建設 社長 上村 英輔氏「経営者の仕事は未来に責任を持つこと」
2026年07月20日
創業者である祖父・上村實氏、そして厳しくも力強いリーダーシップで会社を率いた父・上村秀敏氏。その背中を見ながら育った上村英輔社長にとって、家業とはいつしか人生の延長線上にある存在だった。次代を担う立場として組織改革に取り組む最中、秀敏氏の急逝により突然経営を引き継ぐことになる。承継者としての葛藤、経営者としての重圧、そして多くの支えの中でたどり着いた「未来に責任を持つ」という信念。その経営観に迫った。
「そういう星のもとに生まれてきた」
山口 まずお聞きしたいのですが、上村社長は幼い頃から「家業を継ぐ」という意識をお持ちだったのでしょうか。
上村 「継ぐ」というより「そういう星のもとに生まれてきたんだろうな」と自然に受け入れていた部分が大きかったと思います。創業者である祖父・實(故人)が、よく家のトイレに財界九州などの経済誌に自分が掲載されているページを開いて置いていたんです(笑い)。子どもながらに、それが自然と目に入るわけですよ。言葉ではなく「自分はこういう仕事をしているんだぞ」という、ある意味のメッセージだったのかもしれません。祖父も父・秀敏(故人)も直接「継げ」とは言いませんでしたが、そういう姿を見ながら育つ中で、いずれ自分もその後を追いかけていくという感覚が、自然と形成されていったように思います。
山口 確かに、多くの承継を経験された方々の話を聞いていると「覚悟を決めた瞬間があった」というより、少しずつ受け入れていったという方が多い印象です。
上村 ただ、迷いがなかったわけではありません。父は非常に厳しい人でしたので、学生時代は反発もしました。「なぜ自分だけが」と思うこともありました。周囲からは「社長の息子だからいいよね」と言われることもありますが、実際には、将来を自由に選べるようでいて、どこかで選べない感覚があったんです。東京の大学を選んだのも、今だから言えますが、当時は父との関係がうまくいっていなかったこともあり、距離を置きたいという気持ちで上京したところもありました。それでも、合格した時に父が涙を流して喜んでくれて、なんとも言えない感情になったのを今でも覚えています。
山口 まさにその葛藤こそが、承継者ならではかもしれませんね。大学卒業後は、県外の建設会社で現場経験を積まれた後、福岡銀行へ進まれていますね。
上村 銀行に入ったのも、父から「一度、金融と財務を経験してこい」というニュアンスで勧められたからです。当時は銀行業と建設業がどうつながるのか、正直よく分かっていませんでしたが、数字の読み方や融資の考え方など、建設会社を経営する上で欠かせないものを自然と学ばせてもらいました。人脈という意味でも、本当に多くの財産をいただいたと思っています。
各部署で8年ほど働き、まだしばらくは銀行で経験を積むつもりでいたのですが、そんな矢先、父から急に「戻ってこい」という電話がありました。いろんな思いがありながらも、結局「はい、わかりました」と答えていた自分がいて、気づけば、ずっと家業にベクトルが向いていたんだと思います。
「組織に横串を通し相互理解を育む」
山口 いざ家業に戻られてから、組織を内側から見た印象はどうでしたか。
上村 正直「こんなにアナログな組織がまだ残っているのか」とかなり衝撃を受けました。本社にはパソコンもほとんどなく、業務の中心は電話とファクス。ただ、今振り返ると、本当の課題は設備ではなく、組織の風土そのものだったように思います。良くも悪くも父の強いリーダーシップが文化として根付いていて、社員も協力業者の皆さんも、自分の考えを発信するより、まず指示に従うという空気が強かったのです。それで会社が成長してきた側面もありますが、これからの時代、受け身の集団は必ず苦しくなると思ったので、一人一人が主体的に動ける環境をつくることこそが、自分にできる最大の役割だと感じました。
山口 オーナー家の人間が入ってくるとなると、社員の方々にとっても、相応の緊張感があったのではないかと思います。その距離感はどのように感じられましたか。
上村 構えているのはお互いさまだったと思います(笑い)。それでも、期待されている空気は確かに感じていました。だからこそ、まず自分から向き合いに行く姿勢が何よりも大事だと思ったんです。社員がどんな価値観で仕事をしているのか、何に満足感や課題感を覚えているのか。現状を理解しないまま未来の絵だけを描いても誰もついてきません。今でも何より意識しているのは、丁寧に社員の声を聞くことです。
山口 新しい後継者の登場に、期待と不安が入り混じるのは当然のことです。それでも上村社長は、目に見える変化を急ぐより、まず相手を理解することを優先されたというわけですね。
上村 当時の会議は、営業は営業、工事は工事と、それぞれが自部門の論理で主張するだけの場になっており、会社全体をふかんする視点が十分ではなかったように思います。ただ、それは個人の問題ではなく、当時の組織文化そのものに問題があったと思います。大事なのは、部門間の優劣ではなく相互理解です。営業の思いも、工事の思いも、その先のお客さまへの価値提供につながっていなければ意味がありません。その上で組織に“横串”を通し、相互理解を育むことは入社してから今までも意識的に力強く進めていることです。
「何より大事にしているのはバランス」
山口 上村社長のお話を伺っていると、制度や環境を改革していきながら、会社の文化そのものを時間をかけて育てていくお考えだったと思います。ただ、そんな最中にお父さまが急逝され、備える時間もなく会社を背負う立場になられました。どのようなお気持ちでしたか。
上村 本当に突然のことで、正直、理解が追いつかない時間がありました。不安や重圧に押しつぶされそうになったのも事実です。ただ、その経験を通じて強く感じたのは、経営者は会社を背負う存在ではあっても、一人で会社を支える存在ではないということです。社員をはじめ、協力会の方々、友人など、多くの人に支えられて、奮い立たせてもらいました。本当に私は周りに恵まれています。
山口 入社後の苦労、先代との突然の別れ、さまざまな経験を経て、上村社長の経営観が形づくられてきたのではないかと思います。改めて今、経営のかじ取りを担う身として大切にしている価値観を教えてください。
上村 何より大事にしているのはバランスです。デジタルとアナログ、目先と未来、仕事とプライベート。経営とは、常にそういった対極にあるものの間に立って、最善の均衡点を見つけ続ける仕事だと感じています。今いるこの空間も、一見遊び場のように見えるかもしれませんが、社員同士のつながりが希薄になっていく時代だからこそ、研修の後にふと会話が生まれるような場を会社の中に用意しました。仕事の会議では出てこない言葉や発想が、何げない会話の中から生まれることもあります。効率を追求するデジタルの時代だからこそ、人と人とのつながりを育むアナログな価値も大切にしたい。それもバランスです。
「会社を支えるのは一人のリーダーではない」
山口 非常によく分かります。経営者の仕事とは、どちらか一方を選ぶことではなく、相反する価値の間で解を探し続けることなのかもしれません。その上で、上村社長が最終的に判断の軸として大切にされているところは。
上村 その活動が会社の未来につながるかどうか。その物差しが一番ですね。もちろん目先の数字も大事ですが、自分がいる時代だけ発展すれば良いという発想にはなれません。常に考えているのは、20年後、30年後にこの会社がどういう姿で存在しているかです。売り上げだけを追い求めれば、もっと大きな案件を受注することもできるでしょう。しかし、それで社員に無理が生じれば、会社の未来を削ることになる。社長がいる間だけ強い会社ではなく、自分がいなくなっても次の世代が発展させていける会社をつくる。経営者の仕事とは未来に責任を持つことだと思っています。
山口 その未来をつくるのは、まさに人です。だからこそ、次のリーダーを育てることも経営者の重要な役割だと思います。その上で、今の時代に必要なリーダーシップをどう捉えていますか。
上村 リーダーシップとは「人の力を引き出し、つなぐ力」だと思っています。完璧な人間はいません。経験豊富な人もいれば、人望のある人もいる。大切なのは、それぞれの強みを生かし合いながら、同じ方向に向かえる組織をつくることです。会社の未来は一人のリーダーがつくるものではなく、多くのリーダーが育つことで初めて実現するものだと思っています。
山口 私もよく社員に話しているのですが、個人の力というのは、社会全体から見れば決して大きなものではありません。しかし、その微力が同じ方向を向いて集まった時に生まれる総力こそが、本当の意味での会社の力なのだと思っています。最後になりますが、上村社長が理想とする会社の未来像について教えてください。
上村 難しい質問ですが、理想の会社の姿を一言で言うなら「笑顔」だと思っています。建物を造ることが私たちの仕事ですが、ものさえ建てれば人が幸せになれるわけではなく、期待を超えた瞬間に人は感動するものです。その感動の先に生まれる笑顔こそが、企業の存在価値だと私は思っています。人の心を動かし、笑顔を生み出せる会社であること。そして、その価値観が私の代だけで終わるのではなく、次の世代、そのまた次の世代へと当たり前のように受け継がれていく会社になることを目指していきたいです。
山口 ありがとうございました。