【継営者】岩崎産業 社長 岩崎 貴光氏「経営者として“自分の個”を示していく」

 23年ぶりのトップ交代─。昨年、鹿児島を中心に観光事業などを幅広く手掛ける“地域の雄”岩崎産業の4代目を承継したのが岩崎貴光社長だ。幼い頃から感じてきた「岩崎」の名の重み、圧倒的な存在の父・岩崎芳太郎氏(現会長)の背中。それらがいつしか“継ぐ者”としての覚悟を静かに育んでいったという。しかし、単に受け継ぐだけでは終われない。先人の礎を守りながら、自分という“個”のリーダーシップをどう築いていくか。新たなリーダーの覚悟に迫る。

Interviewer/財界九州社 社長 山口 亮太郎
いわさき・たかみつ/1985年3月生まれ。東京理科大経営学部を卒業し、2008年岩崎産業に入社。11年取締役、13年副社長を経て、25年5月より現職

「創業者の存在が身近な環境で育った」

 山口 まず皆さんにお伺いしているのですが、岩崎社長は、そもそも「家業を継ぐ」という意識はお持ちだったのでしょうか。もしあったとすれば、いつごろからそうした感覚が芽生えていたのですか。
 岩崎 正直「自分が継がなくてはいけない」と、どこかで明確に腹をくくった感覚はあまりないんです。ただ、私は岩崎家の4代目ですが、幼少期には、創業者の曾祖父・岩﨑與八郎もまだ健在で、その存在が身近な環境で育ちました。私が7歳の時に亡くなったのですが、本当にかわいがってもらった記憶は今でも鮮明に残っています。鹿児島にいると「ああ、岩崎さんのところの」と言われることも日常でしたし、自分の家が地域の中で一定の役割を担っていることは、子供ながらに強く感じていました。ただ、意外かもしれませんが、父からは「継いでくれ」と直接言われたことは、一度もありません。かといって「継ぐな」と言われたわけでもなく、ただ、折に触れて父から「岩崎家とはこうあるべきだ」という価値観には、幼い頃から伝えられてきました。ですので「継ぐ」と決意したというより、少しずつその責任感が自分の中に形成されていった感覚ですね。
 山口 なるほど。確かに承継はある日突然に決意するというより、環境や空気の中で徐々に形成されていく部分は大いにあるかと思います。その意味では一般的な職業選択とは少し違う重みがありますよね。
 その上で大学卒業後は、どのような進路を選ばれたのですか。
 岩崎 少しだけ酒問屋で働かせてもらった後、父がたびたび「外を見ろ」と言っていたのもあり、最終的に留学を決断しました。ハワイ大にホテル・観光分野に特化した「トラベルインダストリーマネージメント」というコースがありまして、家業とも関連する部分が多いと感じ、そこで勉強させてもらいました。
 最初こそ海外での生活は戸惑いもありましたが、現地で人間関係を築きながら生活していく中で、自分の当たり前が通用しない環境に身を置けたことは、非常に大きな経験だったと思います。単に英語や観光学を学ぶという表層的な話ではなく、むしろ、日本とは異なる文化や価値観の中に身を置き、多様な人たちと関わること、それは知識以上に人間形成を意識した父なりの考えだったのだと感じました。
 山口 経営という営みは、最終的にはさまざまな人と、その人の価値観とどう向き合うかという部分が非常に大きいか思うんです。その後の経営者としての器や視座にまでつながることを、ある意味見据えておられたのかもしれませんね。
 ちなみに、どのタイミングで家業に戻られたのですか?
 岩崎 私が25歳の頃だったと思いますが、祖父・岩崎福三(故人)の体調があまり芳しくなく「祖父が生きているうちに、一度家業に戻って経験を積んだ方がいいだろう」という話になりまして、急きょ、岩崎産業に入社することになりました。
 山口 最初はどういう立場で入社され、どんなことに取り組まれたんですか。
 岩崎 一応、肩書きとしては「社長室長」のような立場でした。ただ、当時は今のように明確な社長室機能があったわけではなく、部下がいたわけでもありません。ですので、当時何をしていたのかと聞かれると「社長(父)の雑用係でした」と答えることが多いですね(笑い)。ただ、その雑用というのが幅広いんです。ご承知の通り、良いも悪いも父のマネジメントはトップダウン型ですので「こういう方向でいく」という大きな方針は明確に示されます。私はその意向をくみ取り、社員の意見も聞きながら、どうプロジェクトを着地させるか。ただ、これが本当に大変で大変で…。いや、現在進行形かもしれません(笑い)

「息子という立場を社員に使ってもらう」

 山口 なるほど。そこは一番難しい立ち位置ですね。ただ現場とトップ、その両方の間に立ちながら組織を見てこられたからこそ、会社の強さも、逆にこれから時代の変化に合わせていかなければいけない部分も、かなり立体的に見えてこられたんじゃないかと思うのですが。
 岩崎 先ほども申しましたが、当社の特徴は、非常に強いトップダウン型組織という点です。ただそれが、中途半端なトップダウンではないので、問題や課題が出てきた時に、最終的にはトップの強い信念と意思が明確にあるからこそ、組織として前に進める部分あるかと思います。一方で、その裏返しの副作用として、現場の主体性がなくなり、どこか“合わせる”感覚で仕事と向き合っている人もいる。その空気感は、会社に入って強く感じましたね。
 山口 そこの調整で難しいのは経営トップと現場の関係ではなく、“父と息子”という関係性が重なっていることですよね。
 岩崎 だからこそ、私にしかできない私ならではの役割は何なのかを考えた時に「息子という立場を社員に使ってもらおう」と思ったんです。トップダウンが強くて、本音を言いづらい空気がある。だったら、不満でも提案でも、まずは私にぶつけてくれと。それを自分が整理し、父に伝える。ある意味「潤滑油」のような役割を、社内外で自分なりに担うことを強く意識しました。

「いつまでも調整役ではいられない」

 山口 トップの意思を現場へ落とし込む役割と、逆に現場の温度感や本音を上へつないでいく役割、長い時間をかけて、まさに組織の接続役のような立場を担われてきたわけですね。ただ、そんな中、昨年5月に23年ぶりとなるトップ交代が行われ、正式に社長のバトンを受け継がれました。
 岩崎 父からは、はっきり「3年は見習い社長だからな」と言われましたね(笑い)。ただ、当然ながら周囲はそうは見ません。それまでは、現場と経営の間に入り、調整役のような立場で動いてきましたが、社長になれば、いつまでも調整役ではいられません。そのときに強く感じたのは「父から見た自分は、まだその評価なんだ」という悔しさもありました。ただ、同時にその評価を変えるには、経営者としての“自分の個”を示していかなければならないとも強く思ったんです。
 もちろん、父が築いてきたものを否定したいわけではありません。ただ、時代が変われば、経営のあり方も変わる。だからこそ、父が積み上げてきたものを尊重しながらも、自分の言葉で新しい方向性を示していかなければならない。そういう意識は、社長就任を機により一層持つようになりました。

「最後に残るのは“人”がこの会社を誇れるか」

 山口 “個”をどう打ち出していくか。まさにそこが、これから社長がどのような次世代型のリーダーシップを発揮していくのかに直結していく部分だと思うのですが、そのあたりはどのようにお考えですか。
 岩崎 そもそも私は、父のようなカリスマ型ではないということは分かっていますし、今の時代は、トップの号令だけで人が動く時代でもなくなってきています。
 だからこそ、自分が「会社をどうしていきたいのか」「何を変え、何を守るのか」を、自分の言葉でしっかり伝え続けることが大事だと思っているんです。そして、その方向性に対して「そこに参加したい」と思える空気をどうつくるか。そのためには、社員との対話を積み重ねていくしかありません。人は、ただ正しいことを言われたから動くわけではなく、理解があって初めて主体的に動けると思うのです。だから今の自分にとっては、その理解浸透に全力を注ぎ、会社の存在意義を解像度高く示すことが何よりも重要な役割だと思っています。
 山口 今は、単に利益を生み出す技術にたけた人が経営者として評価される時代ではなく、むしろ、どういう志や方向性を持ち、その志を現実の組織や行動へ実装する力こそが、これからの時代におけるリーダーシップなのかもしれませんね。
 岩崎 ちなみに、リーダーシップという意味では、父から言われたことで非常に印象に残っている言葉があります。「平時に評価される経営者ではなく、有事に強い経営者になれ」と。実際、コロナ禍では、父は賛否があったとしても、自分の考えを外に向けて発信し続けていました。それは単に会社を守るというより「鹿児島という地域をどう守るのか」という視点だったように思います。その姿を見て、経営者というのは、単に組織を運営する存在ではなく、時には地域や社会に対して、自分の考えを明確に示し、発信していく責任があるのだとも強く感じましたね。
 山口 社長や会長という立場になると、決められた中で判断する仕事から、自ら決断する仕事へ変わりますよね。しかも、その迷いも含めて組織は見ている。
 岩崎 そこに覚悟が持てるかが、度量だと思います。月並みな言い方になってしまいますが、私は最終的に「この会社で良かった」と社員が思える会社にしたいと本気で思っています。今後、人口も減りますし、人材確保も難しくなる、AI化も進みます。でも、だからこそ最後に残るのは「“人”がこの会社を誇れるか」だと思うのです。給与や休日も大事ですが、それだけではない。自分が主体的に関わり、誰かの役に立ち、社会に価値を生んでいる実感を持てる組織。そういう会社になるよう社長として責任持ってかじ取りに努めていきたいと思っています。
 山口 ありがとうございました。