【継営者】古荘本店 社長 古荘 貴敏氏「まっとうに次へつなぐのが私の使命」

 熊本で商売をしていて「古荘」と聞けば、多くの人が古荘財閥、そして古荘本店の名を思い浮かべるだろう。GHQによる財閥解体によってその形は大きく変わったものの、根底に流れる経営哲学や地域に対する強い信念は、今も脈々と受け継がれている。幾度となく時代の転換点を乗り越え、紡がれてきたその系譜。6代目・古荘貴敏社長は継ぐ者として、その歴史を受け継ぎながら、いかに現代にその歴史を再定義しようとしているのか、その経営観に迫る。

Interviewer 財界九州社 社長 山口 亮太郎
ふるしょう・たかとし/1977年8月生まれ。2000年に富士ゼロックス入社後、05年に古荘本店へ転じ、17年4月より現職。熊本商工会議所の副会頭も務める

「自分の意思だけで道を決めてはいけない」

 山口 まず最初にお伺いしたいのですが、古荘社長は幼い頃から家業を継ぐことを意識されていたのでしょうか。1877年創業の長い歴史を持つご家業ですので、生まれた時からいずれは継ぐことを強く期待されていた側面もあったのではないですか。
 古荘 それが実は、ほとんどありませんでした。大学卒業後は普通に就職活動をして、富士ゼロックス(現富士フイルムビジネスイノベーション)に入社し、大企業の中でそれなりに実績も出せていましたので、このまま会社に残って上を目指すという選択肢も十分にあると感じていました。縛りなくその自由な選択を尊重してもらえたことは、今振り返っても非常にありがたかったと思っています。
 山口 では、家業を意識し始めたきっかけは、どこにあったのでしょうか。
 古荘 大きかったのは、3代目社長だった祖母・古荘ハマの葬儀の時です。当時の私は、恥ずかしながら、古荘本店が地域の中でどれほどの会社なのか、きちんと分かっていませんでした。ところが葬儀には驚くほど多くの方が参列され、県知事や市長をはじめ、そうそうたる顔ぶれが参列されていました。そこで初めて「自分の意思だけで道を決めてはいけない」と強く感じたんです。ちょうど入社3年目の頃でしたが、その感覚が、後に戻る決断につながっていきました。

「“当たり前”を全て言語化し徹底した」

 山口 実際に5年目で家業に戻る決断をされたわけですが、戻られてからの印象は。
 古荘 まず驚いたのは、熊本の企業のスピード感でした。地方はもっとゆったりしているのかと思っていたのですが、実際に向き合ってみると非常に意欲的で、むしろ想像以上に速かったんです。ただ、東京と大きく異なると感じたのは、仕事の“決まり方”でした。東京では論理的で優れた提案をすれば決まる部分が多かったのですが、熊本ではそうならないことが多くありました。自分なりに分析すると、やはり人と人との関係値がもろに結果へ表れてくるんです。提案の質だけではなく、誰が持ってきたか、どれだけ信頼関係が築けているか。地域で商売するとはそういうことかと学ばされました。
 山口 私も東京で仕事をしていた時期があるので、その感覚はよく分かります。特に九州は「何を言うか」よりも「誰が言うか」が問われる場面が多いような印象です。一見、非合理にも見えますが、裏を返せば、関係性の中で意思決定がなされているということでもあって、営業技術というより、人との向き合い方そのものが問われる感覚ですね。
 古荘 まさにそうでした。もちろん関係性だけでは駄目で、その上に提案の質が伴わなければならないのは言うまでもないんですが、ひとたび関係性が築けた時の前進の速さもまた、地方ならではの強みだと感じましたね。
 山口 2017年に6代目社長に就任され、歴史ある家業の看板を背負うことになられたわけですが、社長就任時に最初に取り組まれたことはなんだったのでしょうか。
 古荘 最初に手をつけたのは、組織の意思決定のあり方でした。前社長である父(現会長)は、とても頭が切れ圧倒的なリーダーシップを持つ経営者です。ただ、その存在ゆえに、意思決定がすべて父に集約される構造になっており、そこに、組織としての危うさを常々感じていました。毎朝、幹部が社長室に集まり、指示を受けて現場に伝える。それが繰り返される中で、確かに意思決定のスピードは速いのですが、結果として、主体的に考えて動く幹部が育ちにくい状態になっていたんです。
 山口 つまり、仕事の目的が指示をこなすことになっていた部分があったと。
 古荘 そうですね。だからこそ、社長がすべてを指示しなくても組織が回る仕組みと、成果が正しく評価される制度づくりに取り組みました。その土台として徹底したのが、ルールを守るという風土形成です。役職ではなく「さん」で呼ぶ、年下にも丁寧語を使う、目の前のゴミを拾う。そうした当たり前を、全て言語化して徹底していきました。時間はかかりましたが、今はかなり浸透してきた実感があります。

「人の心に火をともすのが社長の役割」

 山口 私も社内でよく話すのですが、組織はどれだけ足並みをそろえられるかで成長が決まると思っています。ルールというと一見「縛るもの」という印象がありますが、むしろそろえるための“共通の土台”ですよね。
 古荘 その土台があるからこそ、一人一人が主体的に動けるようになります。逆に言えば、それがなければ、結局は個々の感覚に委ねるしかなくなってしまいます。
 山口 ただ、承継期には「変える」という行為が、意図せず先代がやってきたことへの否定に映ってしまう難しさもあると思います。私自身も経験がありますが、古荘社長は、どのようにそのバランスを取ってこられましたか。
 古荘 今思えば反省ばかりですが、最初は自分の存在意義を示そうとするあまり、幹部の前でも父とぶつかることが多くありました。ただ、ある時から家族で週に一度「家族会」を始めたんです。父と私と弟、時には母も加わる中で話を重ねていくうちに、父がどのような思いで会社やその歴史を背負ってきたのか、その背景が少しずつ見えてきました。
 山口 なるほど。そうした対話を重ねる中で、これまで積み重ねてこられた歴史の意味も、より立体的に見えてきたということですね。
 古荘 そうなんです。1877年の創業以来、事業を広げ、2代目古荘健次郎の時代には従業員1万人規模のいわゆる財閥と呼ばれるまでに成長しました。ただその後は、戦争や時代の変化の中で、家の流れが途絶えかける局面も幾度となくあったと聞いています。ただ、そうした局面においても、先人たちが何としても古荘家のバトンを次世代へつないでいこうとする強い意志が貫かれ、今日まで受け継がれてきました。そうした積み重ねの上に今の自分があると考えると、私の役目もまた、そのバトンをまっとうな形で次世代へつないでいくことが役目というより使命だと思っています。
 山口 その歴史を受け継ぎ、この不確実な時代と向き合う中で、いま最も大切にされている経営観は何でしょうか。
 古荘 私が大事にしているのは「危機感」です。会社の最も現実的な機能は、社員とその家族の生活の糧を生み出す場であり、まずはそこを死守することが経営であると思っています。その土台があって初めて、社会に価値を還元する存在になり得ると。だからこそ、その根幹にある「稼ぐ」ことから目を背けるわけにはいかないと考えています。その現実を自分ごととして捉えるための「危機感」を、あえて社員には意識的に繰り返し伝えています。
 山口 おっしゃる通り、この先どうなるのかという現実から目を背けず、社員にしっかりと直視させることは、経営者にとって避けて通れない役割だと思います。ただ同時に「だからこそ自分たちはどうありたいのか」という未来への期待や意味を提示していくことも欠かせません。危機感で足元をそろえ、期待感で視線を上げる。その両方を行き来しながら組織の方向を定めていくことが大切ですね。
 古荘 まさに、どれだけ正しい方向を示しても、最終的に動くのは人ですから、一人一人が納得していなければ組織は機能しません。だからこそ、まずは「なぜそれをやるのか」という意味をしっかり伝えて、人の心に火をともすことが何よりもリーダーである社長の役割だと思います。

「“地域商社”の役割も担っていきたい」

 山口 そうですね。リーダーシップとは、方向性を示すだけでなく、その前提そのものを問い続けることでもあるのだと思います。その活動が何のためにあるのか。必要に応じて立ち止まり、再定義していく。そうした姿勢こそが求められてくるのかもしれませんね。
 その上で、強く思うのは自前のリソースだけで価値を拡張し続けることには、一定の限界があるとも感じています。だからこそ、業種や地域の垣根を越えて強みを掛け合わせ、つながりの中で価値を生み出していく経営が、これからいっそう求められていくのではないでしょうか。
 古荘 おっしゃる通りだと思います。もともと古荘本店は、いわゆる財閥と呼ばれていた時代に、地域の中で商社的な役割を担ってきた歴史があります。熊本や九州で何か新しいことを始めようとする際には、まず声をかけていただき、さまざまな人や企業をつなぎながら形にしてきた歴史があります。もちろん、当時とは規模も時代背景も異なりますが、地域に根ざした企業がハブとなり、外の力も取り込みながら地域全体の価値を高めていくという考え方自体は、これからの時代においても変わらず重要だと思っています。古荘本店としても、改めてそうした“地域商社”の役割も担っていくことが、一つの方向性になるのではないかと考えています。
 山口 まさに貴社だからこそ担える立ち位置だと感じます。当社もまた、出版という枠にとどまらず、地域や企業、そして人をつなぐハブとしての役割をいかに果たしていくかが問われていると感じています。本日は大変示唆に富む対談をありがとうございました。