2003年2月号18ページに掲載

NEWS SCRAMBLE

・暴かれる「政官業癒着」の構造
・専務理事不在の異常事態―新体制発足早々の福岡商工会議所
・1月末閉店の「臼杵トキハ」食品に特化し3月にも再開
・ベンチャーの旗手・エイコーシステムズの不可解な倒産劇
・県経済に打撃!!波紋呼ぶ沖縄石油精製の閉鎖
・佐賀市営ガス年度内譲渡にめど 市長のひざ詰め談判に労組が譲歩

 

暴かれる「政官業癒着」の構造
ナガサキ大揺れ―有力市議5人逮捕・違法献金疑惑も

有力市議5人が逮捕されるなど政治との癒着が明るみに出た長崎市役所
 長崎県の県都・長崎市が大騒ぎである。政官業の癒着は、今や珍しくもない話であるが、市議会の議長経験者3人を含む5人の市議がイモづる式に逮捕されたとなれば、「これほどまでに」との思いにさせられる。加えて、昨年2月の知事選を巡る違法献金疑惑も浮上、こうなると政治不信は募るばかり―。
 長崎市民は、まさに唖然としたことだろう。10月から11月にかけて、まさにイモづる式の逮捕者である。逮捕された市議5容疑者の顔ぶれは−
▼塩川寛=三菱重工労組長船支部出身で83年から連続5期市議に当選。96年から副議長も務めている。今春の統一地方選では民主新人として県議選に立候補予定だった。
▼佐藤忠秋=71年から連続3期市議を務めた後、県議選に立候補したが落選。91年市議に復帰し、同年から2年間議長。市議は通算6期。自民党長崎支部長でもあった。
▼中田勝郎=75年市議に初当選し、7期目だった。93年6月から2年間議長。
▼板坂博之=95年の統一地方選で初当選、2期目だった。建設水道委員長などを歴任。自民党長崎支部幹事長を務めていた。
▼鳥居直記=79 年市議に初当選。2期務めた後、県議選に立候補し落選。8年間のブランクを経て95年市議に返り咲き、通算4 期目だった。01年3月議長に就任し、在任中の逮捕となった。自民党長崎支部相談役でもあった。
 このように佐藤、中田、佐藤の3容疑者が議長経験者、また板坂容疑者も市議2期目ながら「遠からず議長候補になる」と目されていた。この4容疑者は自民党だが、ただ一人の民主党である塩川容疑者も元副議長で、5人の容疑者とも有力市議だったわけだ。特に支部長、幹事長が逮捕された自民党長崎支部は、大きな打撃で、所属市議から「支部解散」の声も出たほどである。当然、この5容疑者は逮捕によって市議を辞職した。
 容疑は長崎市の発注工事を巡る競売入札妨害やあっせん収賄。要するに、これら市議は業者の依頼を受け、公共工事入札の最低限価格を担当部長から聞き出し、これを業者に漏らしたというものだ。もちろん市議に情報を依頼し摘発された建設会社5社の社長3人を含む7人が逮捕されている。
 この5人の市議に情報を漏らしたのが、当時市建設管理部長だった松藤俊光容疑者(懲戒免職)である。松藤容疑者は70年市役所に入り、建築課長、建築住宅部長などを経て00年4月から建設管理部長を務めていた。今回の事件のキーワードとなったのが最低制限価格、つまり落札できる範囲の下限を巡る情報漏洩である。建設業界は、厳しい経済情勢に加え公共工事の抑制策によって激しい競争を強いられており、このところ「談合」とは逆に業者が下限付近で価格競争する“たたき合い”が増えているとされ、業者にとって最低制限価格はノドから手が出るほどほしい、きわめて貴重な情報になっている。その市発注工事入札(3000万円以上)の最低制限価格を設定するのはすべて松藤容疑者の役目だった。5容疑者が、この松藤容疑者を狙い打ちにしたのは当然といえば当然のことだろう。情報の出所が同じであれば、同一の発注工事に2社が同額で入札、最終的にはくじ引きで決めた、という笑い話みたいなケースもある。市は松藤容疑者だけに最低制限価格設定を担当させていたことについて「情報管理を一元化し、漏洩を防ぐ目的があった」とするが、実態はまるで逆で、情報は市議の要求するままに流れ出していたことになる。
 政官業癒着の構造は、これだけにとどまらない。今度は昨年2月実施された長崎県知事選を巡る違法献金疑惑が明るみに出たのである。要するに知事選のための資金集めを自民党長崎県連が建設業界に要請したとされるもので、これにはゼネコン、地元業者の2ルートで捜査が進められている。ゼネコンルートは、東京、大阪などに本社を置く49社でつくる「県建設業協会長崎中央支部」を窓口に約5000万円を集めたとされるもので、このうち県工事の受注契約を結んでいた7社に対し、長崎地検が公共工事の受注業者の寄付を禁じた公選法に触れるとみて家宅捜査している。一方、地元業者ルートに関しては、「県建設業協会長崎支部」に加盟する有力20社が1000万円を拠出、自民党長崎県建設支部を経由して県建設業政治連盟に寄付された。この政治連盟が知事選で現職の金子原二郎知事を支援、1000万円は事務所賃貸費、人件費などに充てられたとされている。20社のうち14社が当時県工事の請負契約を結んでおり、これも公選法に触れると見られている。
 こちらは現時点では浅田五郎・県連幹事長が事情聴取を、県連も家宅捜査を受け、同幹事長が辞職したものの逮捕者は出ていない。しかし「検察が業界からの寄付にメスを入れた意味は大きい」とされており、統一地方選を前に全国の政党、企業関係者は今後の捜査の行方を注視している、とされる事件となっている。政官業の癒着は、今さらの観であるが、業者が欲する公共工事に関する情報を持った役人は、議会運営や人事などに影響力を持つ議員に弱く、議員と業者は選挙協力などで結び付きが深い。それが汚職の温床ともなるわけであるが、有力市議5人の逮捕、違法献金疑惑が相次ぎ、政官業の癒着に改めて絶句するしかない。
 

専務理事不在の異常事態―新体制発足早々の福岡商工会議所

田尻英幹新会頭
 専務理事と事務局長。事務局の2人のトップが、ともに1カ月余も不在となれば、やはり異常事態と言わざるを得ないだろう。田尻英幹新会頭(西部ガス会長)のもと、新体制が発足したばかりの福岡商工会議所の話である。事務局長については、定款の一部を変更して前任者を再任したが、専務理事は空席のまま。「なぜ、こんな異常事態になってしまったのか」地元経済界はこの話で持ち切りである。
 簡単に言えば、岩田全弘・前専務理事、南里勝利・前事務局長が退任し、その後任が決まらないまま新体制がスタートしてしまったということになる。しかし、後任を決めないままというのは、なんとしてもおかしな話で、経済界が「なぜ」とするのも当然であろう。もちろん、それには理由がある。岩田氏は、前任の専務理事が健康上の理由で退任したことに伴い、01年6月末就任した。当時の会頭、つまり前会頭は西日本銀行相談役の後藤達太氏。岩田氏は元西銀取締役で「後藤会頭の補佐役として適任」として西銀の関連会社社長から就任したものである。専務理事の任期は3年で、退任を決めていた後藤氏も「(岩田氏は)任期が約1年半残っており、全うしてほしい」意向だったと言われる。岩田氏自身もそのつもりだったようで、親しい経済人には「今後もよろしく」と語っていたという。
 ところが、岩田氏に批判的な議員の間から「後藤氏が退任するのであれば、岩田氏も一緒に退任すべきだ」との声が上がり、ついには岩田氏が後藤氏に辞表を提出する事態となってしまった。岩田氏の辞表は、田尻新会頭を選出する議員総会(11月15日)直前の13日付、まだ会頭職にあった後藤氏がこれを受理したのが前日の14日である。もともと岩田氏に批判的な議員は、岩田氏の後任には南里氏の専務理事昇格を想定していた、とされる。これら議員は、「(南里氏の昇格という)その線で決まる」と踏んでいたようで、実際、その線で事は進んでいたという。議員総会の議案の一項に「専務理事選任の件」と記されていたのも、そのことを伺わせるものである。
 しかし、土壇場になって思わぬ事態となってしまった。議員総会前に開かれた新旧の正副会頭会議の席上、南里氏の専務理事昇格に後藤氏が強く反対したのである。1時間もしないうちに退任が決まる後藤氏ではあるが、その時点ではなお「会頭」であり、この後藤氏の意見にあえて反対する声もなく、南里氏の専務理事昇格は見送られてしまったのである。定年を迎えていた南里氏は、専務理事就任が消えたことで、そのまま退任となったわけである。こうした経緯であり、後任を決める時間はなかったというのが、本当のところだ。この結果、専務理事、事務局長とも不在という異常事態が1カ月余も続いたわけだが、さすがに事務局長については12月25日開いた常議員会で定款の一部を変更して南里氏を再任するという苦肉の策でしのいだものの、専務理事については「2月をメドに決めたい」(田尻会頭)としており、現在、福岡県に派遣を要請するなど後任の人選を進めている。それまでは事務局トップの不在が続くことになる。
 

1月末閉店の「臼杵トキハ」食品に特化し3月にも再開

再開のめどがついた臼杵トキハ
1月末で閉店予定だった大分県臼杵市の百貨店、臼杵トキハ(横山稔男社長)が3月にも再開される見通しとなった。同店の親会社、トキハ(大分市、岡本邦彦社長)が明らかにしたもので、店鋪(5階建て、約5500平方メートル)に採算が見込める食品、外商部を残して、不採算部門の衣料品や日用品売り場があった上層階に外部テナントを入れることで「来年度からの経常黒字転換は可能」と判断、再建を図る。
 臼杵トキハは昨年5月、販売不振を理由に撤退を発表、臼杵市や臼杵商工会議所、生活協同組合コープおおいたと建物売却交渉を続けてきたが、買い取り価格に大きな隔たりがあるなど折り合わず、トキハ側は売却以外の選択肢についても検討していた。その間、存続を求める市民の声が強まり、市議会も12月に「中心市街地の核」として撤退方針の撤回を求める決議を全会一致で採択、同社に決議文を提出した。そこでトキハの岡本社長は「百貨店業態の営業をやめることに変わりはないが、閉店後のことは白紙から考え直す」としながら「トキハグループで体制を考えたい」と食品スーパーのトキハインダストリーなど企業グループの参加の可能性も示唆した。こうしたトキハの決断に市や商工会議所では「まちの顔がなくならなくてすむ」と歓迎している。
 同店の上層階には市の出張コーナーや商工会議所がテナントとして入る方向で検討中だ。
 臼杵トキハは1978年開業。02年2月期売上高は21億1500万円で7期連続の経常赤字を計上、、ピーク時の92年(約37億円)に比べ4割以上減少していた。累積損失は約18億円。そのため01年、希望退職を募りスリム化を図ってきたが、業績改善の見込みが立たないことから昨年5月、閉店を打ち出した。閉店後は建物を更地に戻し地主に返還する契約だったが、取り壊しに約2億円かかることなどからトキハは建物売却を強く望んできた。そこで閉店後は1階に向かいのコープおおいたが移転することなどが検討されていた。
 

ベンチャーの旗手・エイコーシステムズの不可解な倒産劇

吉村清己社長
 過去4年間で売り上げ5倍増を達成、日の出の勢いにあったはずのエイコーシステムズ(福岡県大刀洗町、吉村清己社長)が、負債約440億円を抱え経営破たんしたが、この背景にはいくつか不可解な点が指摘されている。
 同社は、いわゆる常用発電(コ・ジェネレーション)システムを販売していたが、98年ごろから「kw(キロワット)当たりレンタル契約」というユニークな方式を導入したことで発電装置の設置台数が急増。親会社の三洋電機クレジットの信用もあり、同年8月期約49億円だった売上高は、2002年同期には約254億円にまで拡大しており、3期後には500億円乗せを視野に入れていた。
 周囲の同社に対する評価も高く、01年には福岡シティ銀行が、優れた実績を上げた経営者を表彰する「九州・山口地域経済貢献者顕彰」にも選ばれており、ベンチャーの旗手としての地位を得た。
 そんな同社が、つまずく原因になったのが、重油の調達先である新日本油業(大阪府)に対する売掛金約24億円、および前渡金約27億円が回収不能に陥ったことがある。発電装置、燃料とも自社負担するシステムの同社にとっては、他業種との競争に勝ち抜くためには廉価(1リットル24円)で重油を仕入れる必要があったが、電力自由化と重油価格の高騰に直面、仕入れが困難な状況に陥っていた。そこで、新日本油業側の提案に乗ったわけだが、その新日本油業は多額の債務超過状態にある。いかに切羽詰まっていたとはいえ、常識的には多額の資金を投入する前に取引先の信用調査が行われるはずだ。
 また、一連の事実が表面化したのは、親会社である三洋電機クレジットによる経営状態調査の過程でのことで、通常なら増資や融資などで存続を図るはずが、一足飛びに民事再生法を選択、しかも事業は継続しながらも営業譲渡先を探しているようだ。
 さらに、財務全般を取り仕切っていた元経営コンサルタントの副社長が、回収不能が発覚した直後の昨年11月に辞任したことも何かと憶測を呼ぶ原因になっている。
 エイコーシステムズの経営破たんで、「ベンチャー企業はやっぱり脇が甘い」とレッテルを張られなければいいのだが…。
 

県経済に打撃!!波紋呼ぶ沖縄石油精製の閉鎖

 沖縄県内企業第4位(売上高)にランクされている沖縄石油精製が、原油処理業務を04年4月までに閉鎖することを昨年12月9日発表、地元に衝撃を与えている。同社は1970年に設立された、国際石油資本のひとつ「ガルフ石油精製」が前身。72年に東邦石油と三菱化成が株を取得し日米合弁会社「沖縄石油精製」となった。さらに80年には出光興産の全額出資子会社となり、今日まで石油類の輸入、精製、販売を行い、常に県内企業上位にランクされてきた。しかし、「操業当初から県内需要が少なく、輸出に頼らざるを得ないという苦しい経営を余儀なくされ、加えて昨今の景気後退による需要減退など、国内外の社会経済情勢の変化が予想以上のスピードだったため抗しきれなくなった」(同社・児玉宣夫社長)ことから、01年3月期には921億8100万円あった売上高も、02年同期には前期比19.3%減の744億1100万円に激減していた。
 こうした状況もあり閉鎖が以前から噂されてはいたが、それでも突然の閉鎖発表は行政、県経済界を驚かせた。地元与那城町の具志堅順助町長は、「寝耳に水。突然閉鎖と言われても…」とあとの言葉が継げなかった。やっと、「いまはまったく確認のしようがないので、後日確認に動きたい」と語るのが精一杯。同町長は昨年12月2日に就任したばかり。その時製油所幹部職員たちも挨拶に役場を訪れたが、閉鎖の話は一切出なかったと言う。
 問題は閉鎖による社員の再就職支援と、県経済に与える影響だ。稲嶺知事は、親会社の出光興産・天坊明彦社長の訪問を受けた際、「雇用問題に十分気を配ってほしい」と注文。天坊社長は「沖縄では働く場に限りがある。本社のグループ内でできる限りのお世話をしたい」と支援を約束。また、ある経済人は、「県内製造業で大きなウエートを占める同社の閉鎖は大変な打撃」と語るように、同社の出荷額は01年で781億円、県全体の工業出荷額の12.1%を占めていた。輸出量も減ったとはいえ、01年の輸出額は123億円。県全体の輸出額の実に41.6%を占めており、閉鎖が県経済に大きな打撃を与えることは間違いない。
 石油業界を全体的に見れば、出光興産が製油所の閉鎖に動き出したことで最大課題である過剰設備の解消が進むと見られるが、「新しい沖縄振興計画がスタートした初年度に、大きなつまずきになる」(地元経済人)ことは確かなようだ。
 

佐賀市営ガス年度内譲渡にめど市長のひざ詰め談判に労組が譲歩

 市長の一念が、かたくなな労組の態度を軟化させたと言うべきか−佐賀市営ガスの03年3月末までの民間譲渡がほぼ確実な見通しとなった。民間譲渡に一貫して反対し続けてきた労組に対し、木下敏之市長自らが交渉の席に着き“ひざ詰め談判”した結果、労組の姿勢が軟化、急速に解決へと向かい始めたためだ。
 同譲渡問題は昨年12月議会で、関係予算案を賛成多数で可決。これによって市と受け皿会社「佐賀ガス」との譲渡契約が正式に成立し、事務引き継ぎに入るところまでこぎつけていた。
  しかし、ガス局労働組合(57人)は、ガス事業民営化の方針が出された直後から一貫して反対の意思を表明、12月議会前の常任委員会でも議決無効を訴えるなど最後まで抵抗した。市当局は市長部局を中心に、民間譲渡後の職員を受け入れる方針を示していたが、組合側は新たな配属先も意向調査に応じないなど態度を硬化、新規採用職員数も決められないという異常事態となっていた。譲渡本契約成立後には事務手続きが始まったものの一部だった。
 その一方で、市当局の再三の交渉呼び掛けは組合内に「譲渡やむ無し」の空気を生み出していたようだ。ある市幹部は「全員継続雇用という条件提示にもかかわらず、交渉の席にも着かないのでは職を失いかねないという危機意識も強く働いたのだろう」と推測する。そして12月10日に木下市長が直接、交渉の席に着いたことが、組合側の態度を急速に軟化させる直接的な契機になったことは確かだろう。木下市長“出馬”の背景には、「市長自らが交渉の席に着くべき」という市議会の強い要請もあるが、市営ガス民営化を行革10年計画の最優先事項とする同市長の強い意気込みの表れと見ることもできる。
 木下市長と組合との交渉内容は、(1)随意契約に至った経緯(2)06年度ガス料金10%値下げの取り扱い(3)労使確認の責任の所在(4)組合側との協議なく仮契約中に引き継ぎ事項の職員協力を盛り込んだ手続き上の問題、などについて話し合われた模様。
 労使交渉が動き出したことで「現在は、勤労条件など具体的な調整と全面的な事務引き継ぎに入っている」(労組幹部)。一連の組合側の態度が事務手続きの障害になるのではないかという懸念も一部にあったが、現在までのところ表立ってはない。多くの曲折を経た佐賀市営ガス民営化問題だが、4月からの完全民営化はほぼ確実になったと見ていいようだ。
 受け皿会社となる佐賀ガスは、三愛石油や地元ガス3社と地元3金融機関が出資して02年10月に設立。32億8000万円(固定資産29億円、流動資産2億9000万円)で譲渡される。

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