「女冠者」
メカジャを有名にしたのは、アメリカの動物学者で大森貝塚を発見したエドワード・S・モース。1879(明治12)年、熊本市高橋港近くのゴミ捨て場で、大量のミドリシャミセンガイの食べ殻を発見したモースは、その感激をこう書いている。 「この動物(腕足類)こそ、私を日本へ導くきっかけとなったものだ。私はすべてを放り出してこの古生代の生き物に全力を集中しようかとさえ思った」(「日本その日その日」石川欣一訳、東洋文庫2巻) メカジャのことを、はじめ「女間者」と誤って聞いた。「くノ一」女忍者とはまた怪しげな名前、その由来はと尋ねたら、メカジャを漢字では「女冠者」と書くのだと訂正された。いよいよもってなまめかしい名前の付いた貝ではないか。モース博士ではないが、この生き物に好奇心が沸き上がり、調べてみると、そのエキゾチックな名前に恥じることない名前の由来が浮かび上がってきた。 冠者(かじゃ)とは、元服を済ませた若い男性のことで、元服の儀式で冠をかぶることからきた名前。武家では烏帽子を戴くが、源義経が九郎冠者と呼ばれたのはご存じの通りで、太郎冠者は狂言でよく知られた男。そして女冠者とは、男装の若い女性のことをいうのだから、現代風では宝塚歌劇の男役などがこれに当たるだろう。 話は横道にそれるが、「まぼろしの邪馬台国」の宮崎和子さんが、後に結婚することになる宮崎康平さんと西鉄福岡駅で会ったときのことを「ながさき総合文芸誌、ら・めえる」に書いている。そのときカバン持ちで康平さんに付き添っていたのが小方八郎という人だった。 小方氏は戦前、女スパイ「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた清朝皇女で男装の麗人川島芳子の秘書をしていた。芳子が中華人民政府に処刑されたとき立ち会ってその刑死を見届けたといい、最後の愛人であったらしい。女冠者=男装の麗人を連想して、すぐに川島芳子を思い浮かべたのは、私が戦前生まれの証拠以外の何ものでもない。 さて、ミドリシャミセンガイにはなぜ「女冠者」の名がついたのだろうか。方言辞典には三味線のようだから「三味線貝」とか、殻の模様が涙目に見えるので「目患者」ともいうとあるが、「女冠者」の名前もそれらと同じく、見た目からきたもので、殻を外すとそこには女性自身そのものの姿があるからだという。 見た目からの同類項では「似たり貝」が有名。別名を吉原貝、姫貝、股貝ともいって、清少納言の生まれ変わりとの伝説がある。まだ実物にはお目にかかったことはないので、インターネットで検索してみて驚いた。関心の向きはとくとご覧いただくとして、さて女冠者はどなたさまの生まれ変わりなのか、これも自由に想像されたい。 それにしても、女冠者はイソギンチャクのワケノシンノス(若い男の尻の穴)と並んでシモネタネーミングの双 へき。これらを好んで食べる有明海沿岸の人たちは、よほど色艶話がお好きなようである。 | ||
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