2008年11月号202ページに掲載

ボビーに聞け


ごるふ道 伝道師 谷水 利行
 江戸時代末期から明治時代にかけて、我が国に足を踏み入れた先進諸国の異人さんたちは、口をそろえて日本人の精神性の高さを絶賛したものでした。ある宣教師は「日本人には布教活動など必要無いほど精神性が高い」といい、「まじめで勤勉」「我が国よりも優れている」と本国に書き送ったとか。
 その精神性の高さが、短期間に大発展を成し遂げる原動力となり、明治・大正・昭和の激動期を、この小さな島国が列強から侵犯されることなく、独立国家として生きながらえてこられたのだと思います。しかし、最近はどうも様子がヘンです…。
 ロバート・タイヤ・ジョーンズ・ジュニア、通称ボビー・ジョーンズは1902年、ジョージア州アトランタに生まれました。父親は裕福でしたが、あまりゴルフに関心を持たない人でした。しかし、そんな父親が、彼に子供用のゴルフセットを持たせたのがきっかけで、不世出の天才ゴルファーが誕生することになります。生涯をアマチュアで貫き通した彼の戦績は以下のとおりです。
 1923年(21歳)全米オープン優勝。24年(22歳)全米アマ優勝。25年(23歳)全米アマ優勝、全米オープン2位。26年(24歳)全英オープン優勝、全米オープン優勝、全米アマ2位、27年(25歳)全英オープン優勝、全米アマ優勝。28年(26歳)全米オープン2位、全米アマ優勝。29年(27歳)全米オープン優勝など。
 26年の全英オープン予選では、アウト33.イン33、ショット数33、パット数33というゴルフ史上、他に例を見ない均整の取れたスコアを記録するなど「天才」の名を欲しいままにします。
 しかし、ボビーの名を世界に響き渡らせたのは、優れた戦績ではありませんでした。それは25年の全米オープン第2日目。11番ホールで彼のアイアンがラフの草に触れたとき、ほんの僅かにボールが動いた…らしい。このことは現代のようにビデオが映像を記録した訳でなく、また、他に見た人もいないので、事実関係を確かめるすべがありません。
 従って「動いた」というよりも、むしろ、本人が「動いたと主張している」という状況になってしまいました。そして彼は「アドレス後にボールが動いた」と申告し、自らに1打の罰を課したのでした。この罰打によってウィリー・マクファーレンに並ばれ、ついにプレーオフで破れてしまいました。このことについて、全米ゴルフ協会に数千通の手紙が届き、彼の勇気ある行動を賞賛しました。しかし、彼にはこのことが心外だったらしく、一連の騒動に対して次のようにコメントしました。

 「私が他人のお金を盗まなかったといって誉めますか?当たり前のことをしたまでです。自分を騙すぐらい悲しいことはありませんから」と。

 ちなみに彼はトップアマの座を守りながら、学業ではハーバード大学、エモリー大学、アトランタ工科大学に学ぶという文武両道の秀才でもあり、引退後は弁護士として活躍しました。
 ところで、昨今の我が国は偽装大国の様相を呈しています。耐震構造の偽装に始まり 賞味期限・産地・材料・事故米 更には年金に至るまで「バレなければセーフ」「見つからなければ無罪」と言わんばかりです。「嘘をついたらダメ」とか「お天道様が見ているよ」といった幼稚園児に教えなければならないことを、国や地域のリーダーが守れないのですから困ったものです。
 どうしたらよいのか迷った時は、ボビーの残してくれたこの逸話を思い起こしたいものですね。

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