2008年11月号162ページに掲載

癒やし百景

晩秋の「魚楽園」

撮影=本誌・井田 勝/文=加藤哲也

「魚楽しければ人又楽し 人楽しければ魚又楽し…」。中国最古の詩集といわれる『詩経』大雅篇には、そのような一節がある。
ここ川崎町(福岡県田川郡)にある国指定名勝の「魚楽園」は、その一文を引用し命名されたらしい。
命名した人は、江戸後期の行橋の漢学者村上仏山。魚楽園は別名「藤江氏魚楽園」ともいう。代々藤江氏が管理していることでその名がついた。
藤江氏は川崎の山中を根城としていた平家落人の家系だそうな。その藤江氏が「魚楽園」を管理するようになったのは、雪舟がとり持った縁である。
実はこの「魚楽園」を作庭したのは雪舟である。室町時代(1338〜1573)に造園されたそうだが、この庭園は名園の誉れ高い。
神仙蓬莱思想による鶴と亀を表わしているといわれるこの庭園は、自然の山を借景に、中心に池を掘り、川を配して3カ所に石橋を架けている。
その周囲には、つつじ、紅葉、椿など、四季折々の自然の変化を楽しめるよう趣向が凝らしてある。実に典雅な日本庭園だ。
国名勝に指定されているのもなるほどうなずける。雪舟は京都相国寺で修業を重ねた禅僧である。修業ののち周防国(現・山口市)に移り大内氏の庇護を受け、やがて遣明使となり明へ渡航。2年間明で水墨画を学んだのち帰国したものの、そのころ国内は応仁の乱。京都はもとより、周防、博多も戦火に明け暮れ身の置きどころがなかった。そんな折に頼ったのが、川崎山中に住みながらも勢力を持っていた藤江氏であった。
雪舟はここで戦乱が鎮まるのを待ちながら、「魚楽園」を作庭したのだろう。雪舟の手になる庭園は、他にも英彦山、日田、筑後にもあるそうだ。
いずれも平和を願って造られたのだろうが、中でも「魚楽園」は極めて品格が高いといわれる。その庭内が、いま、深い秋の彩りに染められている。

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