感動がある。物語りがある。ふたたびの九州を見つける旅。 vol.29 邪馬台国伝説(中)
邪馬台国九州説で有力な比定地は甘木朝倉、宇佐、高千穂の3地域と思われる。そのうちの甘木朝倉は前回訪れた。第2回目の今回は宇佐を旅した。この地もまた、卑弥呼にまつわる影が色濃く落ちている。よくわからないのは、祭神のひとつ比売大神の存在と、古代天皇家が託宣を受ける時、なぜ伊勢神宮でなく宇佐神宮を訪れていたのかだ。邪馬台国宇佐説が囁かれる由縁でもある。 [加藤哲也]宇佐神宮主祭神の謎宇佐神宮はよくわからないお宮である。宇佐宮に勤める神職さんでもそうなのだから、私どもにわかろうわけがない。まず、祭神のひとつである比売大神の正体がよくわからない。宇佐宮の祭神は三柱あり、比売大神の他に応神天皇、神功皇后が祀られている。 応神天皇は八幡神だから、全国4万4000社ともいわれる八幡宮の総本社宇佐宮の祭神は当然だろう。神功皇后はその応神天皇の母親だから、これも祭神としては妥当なところだ。 では、比売大神とは一体誰なのか。これがよくわからない。一説には天照大御神だとか卑弥呼ともいわれているようだが…。 拝礼作法も他の神社とは明らかに違う。一般的にはどこの神社でも「二礼二拍手一拝」だが、宇佐宮の場合は「二礼四拍手一拝」である。神宮でも、いつからこういう作法になったのかはわからないらしい。一之御殿の前には、そのようなことが書かれた立札が立っている。 さらに天皇家が、皇室の氏神伊勢神宮(天皇家の祖神天照大御神を祭神とし、三種の神器のひとつ八咫鏡をご神体とする)ではなく宇佐宮に託宣を求めるのもよくわからない。たとえば宇佐八幡宮神託事件というのがある。 この事件は神護景雲え年に起きた。奈良時代で、時の称徳天皇の信望厚かった弓削道鏡という僧が、宇佐宮から託宣を受けて天皇になろうとした事件である。結果としては宇佐宮から神託は下らず、道鏡は天皇になれなかった。 事件の経緯は『続日本紀』にくわしいが、戦前までの歴史教育では、野心家道鏡の政治的陰謀とされていた。そして天皇の代参で託宣を受けに行った和気清麻呂は、それを阻止した忠臣の鑑とされている。 ところが戦後になって、歴史家たちのその後の調査で、事件の流れに神話的な匂いが強く信憑性に乏しいとの説が唱えられたり、挙げ句の果てには称徳天皇が神託事件の首謀者だとする説も出回る始末で、真相はいまだに究明できていない。
よけいなことを書き過ぎた。本題は事件のことよりも、天皇家はなぜ奈良の都から近い伊勢ではなく、はるか遠い九州の宇佐宮までわざわざ託宣を受けに行くのかということである。実はここに卑弥呼との関連性を持たせる歴史学者は結構いる。 面白いのは、宇佐神宮と伊勢神宮の違いを「天皇家のお墓と仏壇」と指摘する説だ。つまり宇佐神宮は先祖ゆかりの地=お墓で あり、伊勢神宮は大和の先住民族の聖地だったというのである。それを奪い取った天皇家が、殺されて神格化された卑弥呼を天照大御神として祀った。すなわち仏壇である。仏壇であれば普段拝んでいればそれで十分だが、ひとたび天皇家に関わる重大事が起きた時にはお墓参りに行って先祖の託宣を受けるというのである。 ただ、気になる部分もある。「殺されて神格化された卑弥呼を天照大御神として祀った」という点だ。天照と卑弥呼を同一視する説はよくあるが、卑弥呼の死についての議論はあまり聞いたことがない。しかしそれについては作家の故・松本清張氏、評論家の樋口清之氏らも同様の説をとっている。 清張氏は、『魏志倭人伝』の持衰、『後漢書』の夫余王(百済の王)、ジェームス・フレイザー(英国の社会人類学者)の『金枝篇』などの記事から卑弥呼は殺害されたと推測。 その根拠として、持衰、夫余王にしても、天体自然の動きのなかで凶事が起これば殺されてしまう存在であったといい、それと同列に置き、卑弥呼もまた祭祀を司る人物だから、その霊力の衰えが災厄を招き責任をとらされて殺害されたという論だ。 ではどんな災厄を招いたのかというと、「邪馬台国が狗奴国との戦争に敗れ、敗北責任をとらされて処刑された」と清張氏は説いている。その処刑の方法として弓矢による殺害ではないかとするのが樋口清之氏である。 樋口氏は、「日本人は死ぬことは消滅ではなく、再生産を繰り返していつもこの世にいるとしてきた。それが古代日本人の霊魂観だった。したがって卑弥呼は死ぬことで第一の神がかりが終わり、一層強い魂になると信じられていた。殺しかたも、より残忍な方法で殺すことによって、次の世界でより強く、より有力に表現されて、魂の力で目的を果たせるという信仰となっていた」と説く。 その上で、「北九州で発掘された瓶棺の中に、正面から矢を何本も突き刺されて死んだ女性が葬られていた。一説には戦の時に前線に立って走った女性との見方をされているが、前線に立った女性のお腹にだけ集中的に矢が突き刺さるというのはどう考えてもおかしい。しかも老女の骨である。だからこれは、霊能力がなくなった女性が殺されたものだと思う。それと同じで、卑弥呼も自然死ではなくおそらく他殺だろう」と、自著『女王卑弥呼の謎』に書いている。 宇佐神宮は卑弥呼の墓か?
そこで問題になってくるのが天皇家の宇佐詣でである。宇佐宮と伊勢宮は、「お墓と仏壇」の違いがあるという説を前に紹介したが、その説に従えば宇佐宮が天皇家の祖先のお墓ということになる。それが卑弥呼の墓とは断定できないが、その答えの鍵を、祭神のひとり比売大神が握っていることは間違いない。 宇佐宮に参拝したことのある読者ならご存知と思うが、本殿には三つの神殿があり、向かって左から一之御殿の応神天皇、二之御殿の比売大神、三之御殿の神功皇后の順に並んでいる。この神殿の中では、比売大神の御殿が他の御殿にくらべはるかに豪勢である。しかも中心に配置されている。これは何を意味するのだろうか。 ちなみに『宇佐宮』(中野幡能著)には、「正史には〈続紀〉天平勝宝元年(七四九)十二月の条に八幡大神に一品、比売神に二品を叙したとあるのが初見であり…(略)…このようにわが国の神社では八幡神が神階を受けた最初の神であり、天平十八年には三位であったが、天平勝宝元年になると一品、比売神に二品を贈り、さらに比売神には天安二年(八五八)一品に叙している。品位の制はもともと親王を叙した位階で、大宝元年(七◯一)〈大宝令〉により明冠をわけて一品より四品とし…(略)…明治二年(一八六九)の改正後まで続いた位階である。このような、ほかに例のない品位を下したということは、朝廷は天平以来八幡神を皇室の祖先と考えていたことになる」と記している。 文中に出てくる品位とは、親王すなわち皇族にだけ与えられる位階のことである。つまり朝廷は6世紀のころからすでに宇佐宮を皇室の祖先と認め、一品の位を贈っていたのだ。 再び宇佐宮本殿の配置に戻るが、神殿の配置は常識的には向かって中央がもっとも偉い神、続いて向かって右、そして左の神となる。それにならうと比売大神がもっとも偉く、続いて神功皇后、応神天皇の順になる。 宇佐宮ではもっとも偉い神は比売大神ということになるが、その確かな正体は宇佐宮の神職たちも知らない。さらに言えば、ここでの拝礼作法「二礼四拍手一拝」のいわれも神職たちは知らないのだ。しかしこの拝礼作法にこそ、比売大神の正体を知る手がかりが隠されているともいわれている。
「二礼四拍手一拝」。この作法は、日本に神社多しといえども宇佐宮と出雲大社だけらしい。なぜ宇佐と出雲だけなのか、このふたつの神社に共通するものとは何なのか。それさえわかれば比売大神の正体が明らかになるわけだ。 出雲大社といえば祭神は大国主命である。そしてその大国主は、不本意な死にかたをしたと伝えられる。「国譲り神話」によれば、高天原の天照大御神が、「葦原の中つ国(=日本)は自らの子孫が治める国」と勝手に決め、大国主に国をよこせと迫っている。これは明らかに、高天原による葦原の中つ国への侵略である。 この神話は、結論として大国主が無条件降伏し、その上アマテラスから「現世の政治はわが子孫がする。おまえはあの世のことをしなさい」と言われ、長に隠れ死の国の神となったことになっている。 神話では出雲は死の国であり、大国主は死の国の神とされているが、不条理な殺されかたをした大国主の霊魂が、そうやすやすと成仏するわけがない。 実は出雲大社の「四(=死)拍手」は、殺された大国主の怨霊のたたりを封じ込めるための作法だといわれている。出雲大社の神殿が日本一大きいのも、大国主の霊をなぐさめるためだそうだ。 では出雲と同じ拝礼作法の宇佐ではどうか。大国主に匹敵する大人物で、はからずも殺された運命の持ち主とは。その霊魂を鎮めるために「二礼四拍手一拝」で拝礼する。拝礼する対象が比売大神であることは明らかだ。 その比売大神について、宇佐神宮は、『日本書紀』の神代上に記されていることを根拠に市杵嶋姫命、湍津姫命、田霧姫命の3女神としている。ところが同書には、この3女神は「日神とスサノオの子供」とも指摘している。 神話によると、スサノオはアマテラスの弟である。卑弥呼にも弟がいたと『魏志倭人伝』は伝える。この符合は偶然なのか。一般には、日神は太陽神と理解されている。となると、太陽神はアマテラスのはずだ。 一方、卑弥呼の弟にも疑問は持たれている。本当は弟ではなく夫ではないかというのである。神から神託を授かる巫女は神の嫁であり処女でなければならないというのが常識である。だから表向きは姉弟であることを装ったと推理されているのだ。 もしその推理が当っていれば、常々いわれるアマテラス=卑弥呼説も合点がいくし、宇佐宮の比売大神の謎も解ける。つまり日神=アマテラス=卑弥呼ということになるのだが、推理はあくまで推理であり学説ではない。従って姉弟は夫婦だったとの推論は、残念ながら学界では認められていないのだが…。 | |||||
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