2008年11月号18ページに掲載




「まぼろしの邪馬台国」余話


 東映映画「まぼろしの邪馬台国」が11月1日に全国一斉に封切りになる。主人公・宮崎和子さん役を吉永小百合さんが演じ、夫の康平役は竹中直人さん。新聞1ページのカラー広告に、東映がこの作品に賭けた熱い意気込みが感じられる。そのコピーにはこうある。
 「日本最大の謎に挑戦した夫婦がいた。昭和の奇人・宮崎康平と、彼の情熱を信じた妻・和子。2人が最後に見つけたものは…」
 「昭和の奇人」とはよくも言ったものである。確かに、康平さんは普通の規格に収まる人ではなかった。和子さんがいつも聞かれるのは、2人のロマンスのこと。盲目で妻に去られた幼子2人の子持ち、おまけに巨額の負債を抱えた中年男と、NHK福岡放送局の声優をしていた20代の未婚女性が、なぜ結婚したのか。おそらくそれなりの大きな理由があり、大恋愛の末に結ばれたのでは、との期待からの質問なのだが、和子さんによれば、それは「必要結婚」ともいうもので、お互いがお互いを必要とした結果の結婚だったそうだ。
 和子さんが初めて康平さんと会ったのは、声優として働いていたNHK福岡放送局。当時、康平さんは島原鉄道の社長と対立して常務取締役の辞任に追い込まれ、長崎の勧善寺の離れや雲仙の湯元温泉に閉じこもって、長崎放送局のラジオドラマの脚本を書いたり、文芸誌に作品を発表したりしていた。火野葦平や劉寒吉、原田種夫ら文人と親しく、「九州文学」の同人だった康平さんは、ドラマの脚本や番組の構成にかかわったりしていて、ちょくちょくNHK福岡放送局へ足を運んでいたので顔見知りになった。
 ある日のこと、39歳の康平さんは福岡市天神の喫茶店で27歳の和子さんを口説いた。
 「同じ巳年生まれ、誕生日も5月7日と全く同じ。奇遇だなぁ。君との結婚は生前から神様が決めていた」
 しばらくして、社長が急逝。島原鉄道は「観光バス部門を拡充するので、バスガイドの教育係として来てほしい」と、強引に放送局長に掛け合ってNHKを辞めさせ、康平さんは常務に返り咲いた。いやも応もない早業であった。そして結婚して間もないある日のこと、「明日はおれの誕生日だから、赤飯を炊いてくれ」と頼んだあと、「ところで、おまえさんの誕生日はいつだったかね?」と聞いた。和子さんは開いた口がふさがらなかったという。
 結婚までの経緯も康平さんらしい。式を挙げたのは和子さんのおなかが大きくなった出産1カ月前のこと。ところが前夫人との離婚がまだ成立しておらず、長男の出産と同時に市役所へ行き、離婚届、婚姻届、出生届を同時に出したものだから受け付け職員も驚いた。いくらなんでもそれは、ということになり、まず離婚届を出して、いったん市役所を出てすぐ引き返して婚姻届、出生届を受け付けてもらったのだった。
 康平さんはご婦人たちの前で話すことが大好きだった。そしてけなすのが得意だった。
 「私の女房はとんでもないじゃじゃ馬で、もしほかの人の女房になっていたら手に負えない女子ですが、宮崎康平という立派な乗り手だからこそ乗りこなしているのです」と。
 こんな康平さんとの2人の生活も、康平さんが62歳のとき脳出血で亡くなったため、終止符が打たれた。相当の苦労もあったようだが、和子さんは「康平とともに暮らした25年間は本当に面白かった。1日たりとも退屈することはなかったような気がする」と語って いる。妻に夫婦の生活を「幸せだった」と言わせる夫は多いかもしれないが、「面白かった」と振り返らせる男はそうはいまい。康平さんは、やはりたいした「奇人」であった。「まぼろしの邪馬台国」が第1回吉川英治文学賞を、2人連名で受賞するという思い出まで残して。真一郎

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