2008年2月号190ページに掲載
『山頭火日記抄』

(51) 旅愁というよりも人生の悲哀

田嶋 庄三郎


昭和7年4月7日 佐賀県楠久
 曇、憂鬱、倦怠、それでも途中行乞しつゝ歩いた。三里あまり来たら、案外早く降りだした。大降りである。痔も痛むので、見つかった宿へ飛び込む。
 ずゐぶんうるさい宿だ。子供が多くて貧乏らしい。客間は二階だが、天井もなければ障子もない。せんべいふとんが二三枚あるだけだ(畳だけは畳らしい)屋根裏のがらんどうにぽつねんとしてゐると、旅愁というよりも人生の悲哀に近いものを感じる。私はかういふ旅に慣れてゐるから、かういふ旅にかへって気安さを感じるが(そこをねらってわざと泊まったのでもあるが)普通の人々―我々の仲間はとても一夜どころか一時間の辛抱もできまい。
 今日は県境を越えた。長崎から佐賀へ。どこも花ざかりである。杏、梨、桜もちらほら咲いてゐる。草花は道べりに咲きつゞけてゐる。
 食べるだけの米と泊まるだけの銭しかない。酒も飲めない、ハガキも買へない。雨の音を聴いてゐる外ない。

・お地蔵さんもあたたかい涎かけ
・汽車が通れば蓬つむ手をいつせいにあげ
・何やら咲いてゐる春のかたすみに
・明日の米はない夜の子を叱ってゐる

 此宿はほんたうにわびしい。家も夜具も食物も、何もかも。―しかしそれがために私はしずかなおちついた一日一夜を送ること出来た。相客はなし(そして電灯だけは明るい)家の人に遠慮はなし。二階一室を独占して、寝ても起きても自由だった。かういふ宿にはめったに泊れるものではない(よい意味に於いてもわるい意味においても)。
 よく雨の音を聴いた。いや雨を観じた。春雨よりも秋雨にちかい感じだった。しょうしょうとして降る。しかしさすがにどこかしめやかなところがある。もうさくら(平仮名でかう書くのがふさはしい)が咲きつゝあるのに、この冷たさは困る。
 雪中行乞で一皮だけ脱落したやうに、腹いたみで句境が一歩深入りしたやうに思ふ。自惚れではあるまいと信じる。先月来の句を推敲しながらかく感じないではゐられなかった。
 友の事がしきりに考へられる。S君、I君、R君、G君、H君、等、等。友としては得難い友ばかりである。肉縁は切っても切れないが友情は水のやうに融けあふ。私は血よりも水を好いてゐる!天井がないといふことは、予想以上に旅人をさびしがらせるものであった。
 今日は一つの発見をした。それは、私の腹いたみは冷酒が、いひかえれば酒屋の店頭でグッと呷るのが直接原因であることだった。
 今夜も寝つかれない。読んだり考へたりしてゐるうちに、とうとう一番鶏が鳴いた。あれを思ひ、これを考へる。行乞といふことについて一つの考察をまとめた。

 山頭火が雨にたたられ、飛び込んだ宿には、天井も障子もなかった。彼は「旅愁というよりも人生の悲哀に近いものを感じる」と日記に書き付けているが、先日、韓国へ旅して同じような思いをした。
 晋州の流灯祭見学が主な目的だったのだが、ホテルの部屋に案内されて驚いた。ベッドがないのである。床に直接夜具が置いてあるだけ。床も、日本の畳のようなものや敷物がしてあるならまだしも、ビニール床そのまま。隣の友人の部屋には立派なベッドがしつらえてあるのに、こりゃなんたる違いなのか。このホテル、晋州では一番のホテルと聞いていたのだが、床に寝かされるとは一体どうしたことなのか。
 そのとき、同室になった友人が床に手をあててしたり顔で言った「こりゃオンドルばい」。確かに、床が暖かい。これがこちらでは普通なのだろうか。でもその日は暑く、エアコンを効かせないと寝れそうにもない室温なのである。オンドルを切る方法もあるとは思うのだが、夜具が1組足らないのを電話で説明してもなかなか日本語が通じなかったこともあって、面倒くさいのでそのまま寝ることにした。
 背中は暖かく、薄い布団をかけている体の上部はまあまあ。露出している顔はエアコンで涼しい。なんだか解凍されている冷凍マグロのようで、こんな奇妙な経験も人生の思い出になることだろうと、苦笑させられたものだった。

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