2008年2月号144ページに掲載

癒やし百景

開聞岳の初日の出

撮影=本誌・井田 勝/文=加藤哲也

開聞岳は薩摩富士の別称で親しまれているが、戦国期、「薩摩潟浪の上なる空穂島これをつくしの富士といふらん」と歌に詠まれ、
すでにその時代には、富士の代名詞が使われていたようだ。
ちなみに開聞岳の呼び名は他にも筑紫富士、小富士、海門山、金畳山、蓮花山、長王山などがあったようで、いかに多くの人を魅了したかがわかる。
一方古代に著された「三代実録」には、貞観16(874)年の開聞岳噴火の折に、
開門神の加護を願い、山の怒りを鎮めるために、封戸20戸を奉ったと記されている。
さらに仁和元(885)年の大噴火では、降砂、降灰が隣の頴娃(えい)町一帯で尺にも及んだと書いてあって、
開聞岳が当時活発に火山活動をしていたことがうかがえる。
山神の怒りを鎮めるために創建されたのが枚聞(ひらきき)神社なのだが、創始の年月は不明のようだ。
「三代実録」の初出は貞観2(860)年となっているから、少なくとも1200年近い歴史があることになる。
神格の昇格も急で、貞観2年、同16(874)年、元慶6(882)年と、わずか20年の間に3度も昇格している。
それだけ当時は、朝廷の崇敬が篤かったといえる。そのせいか、鎌倉時代から、川内市の新田神社と薩摩一宮の座を争う時代が長く続いた。
江戸時代、新田神社は八幡神を合祀したことで格上に。そんなことに関係なく、枚聞神社のご神体開聞岳の初日の出は、まさに神々しい輝きである。

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