山田洋次映画監督の寅さんシリーズ『男はつらいよ』に、太宰久雄さん扮するタコ社長が毎回登場する。寅の叔父夫婦が営む団子屋「くるま屋(映画初期は「寅屋」)」の裏で、小さな印刷会社「朝日印刷」を経営しているのだが、いつも資金繰りに頭を悩ませては溜息をつくばかり。零細企業の悲哀を一身に背負っているような社長だ。 ところでこの社長の名前をご存じだろうか。タコならぬ桂梅太郎というのが本名で、「桂」は幕末の勤皇の志士、桂小五郎(後の明治の元勲・木戸孝允)からのもの。「梅太郎」は吉田松陰の実兄である杉梅太郎からの拝借。つまり、松下村塾にちなむ名前なのである。 なぜ山田監督がこんな名前を用いたのかというと、監督は16歳のとき中国の旧満州から引揚げて来て、山口県宇部市に住んだ。父の仕事が見つからず、生活苦から山田少年はヤミ屋商売に手を染め、宇部から日本海側の仙崎港へと海産物の仕入れに通っていた。そのヤミ屋仲間にとても面白い男がいた。顔が四角で、次々とおかしい話をしては皆を笑わせた。このハルさんという男をモデルにして「フーテンの寅」が生まれたのだが、松下村塾は仙崎港のすぐ近く。少年時代の思い出からの名前拝借で、マドンナ最多回数登場の浅丘ルリ子さん演じる「リリー」の名は、松蔭の実父である杉百合之助からと思われる。このように、山田作品に登場する人物の名前は、監督と何かの縁のあるものばかりで、注意して映画を観ていると、隠された山田洋次監督の世界が見えてくる。 監督の父・正さんは福岡県柳川市の生まれ。正さんが亡くなったあと兄弟で部屋を片付けたところ、ベッドの傍の横になって目の届きやすい位置に、北原白秋詩碑「帰去来」の拓本がかけてあった。横になって眺め続け、故郷柳川を偲んでいた父の気持ちを思い、監督は涙したという。 『男はつらいよ』第28作「寅次郎紙風船」に、寅次郎がテキヤ仲間の「カラスの常」こと倉富常三郎を、福岡県甘木市秋月(現・朝倉市秋月)に訪ねるシーンがある。小沢昭一さん扮する常は医者に見放されて退院し、余命1カ月もない身を自宅に横たえていた。常は、「俺が死んだ後、女房(音無美紀子さん演じるマドンナ光枝)が知らん男に抱かれるかと思うと夜も寝むれん。俺が死んだら寅、お前の女房にしてやってくれ」と頼む。そして病人を寝かせた寅次郎が壁に目をやると、そこには白秋の「帰去来」拓本が。お父さんの部屋そのものの風情だ。 映画の「帰去来」拓本は字も読みづらいので、白秋の「帰去来」と気づいた人は少ないことだろう。それを寅次郎がじっと見つめ、画面は柳川へと移る。監督はこんな場面にさりげなく父の思い出を入れていたのである。さらに監督は、第32作「口笛を吹く寅次郎」のなかに、父の墓のある崇久寺の名を入れている。寅さんと飲み過ぎた寺の住職が、二日酔いのため法事に行けなくなり、娘でマドンナの竹下景子さんが「ソウキュウジさんに電話して代わりを…」というくだりがそれ。監督の父への思慕がここにも隠されているのだ。 こんなこだわりの監督ゆえ、小沢さん演じた「倉富常三郎」の名は何かの関わりがあるはず。調べてみると「倉富恒二郎・勇三郎」なる兄弟が浮かび上がってきた。2人の出身地は福岡県浮羽郡船越村秋成(現在の久留米市田主丸町)。兄・恒二郎は、福岡日々新聞(西日本新聞の前身)創始者の1人で後に社長を務めた人。自由民権運動に加わり、九州改進党に所属。1880(明治13)年、福岡県議会議員に当選。筑後川改修工事に尽力し、90(明治23)年、第1回総選挙に福岡4区から出馬するも落選。以後、新聞事業に専念する。 弟の勇三郎は枢密院議長、貴族院勅選議員。男爵。兄弟の父は胤厚。三潴郡大隈村の庄屋・園田為右衛門の次男で倉富家の養子に入った人。監督がこの兄弟をヒントに「倉富常三郎」としたことは疑いないところだが、監督との関係は不明。 こんなことを調べてみると、監督の作品に登場する人物にはいずれも何らかの意味、由来をもったものばかり。関心の向きに研究に取り組んでもらったら、興味深い山田洋次ワールドが浮かび上がってくることだろう。 真一郎 | ||
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