マリリン・モンローの
オニオングラタンスープ
今から50年前の1954(昭和29)年2月9日、かのハリウッド大女優マリリン・モンローが、夫でニューヨークヤンキースの伝説的スーパースターだったジョー・ディマジオと日本への新婚旅行の途中、博多に滞在したことがあった。
宿泊したのは博多区中洲河畔の国際ホテル(後の城山ホテル)で、3日間の滞在中二人は、ホテルから南へ明治通りを渡って、中洲4丁目の川辺りにあったロイヤルの中洲本店「花の木」へ、毎日のようにお忍びの食事に通ったという。
「花の木」は博多におけるフランス料理の元祖で、外食産業のさきがけとなったロイヤルグループ発祥の店。北欧風の高級感あふれるしゃれた外観と雰囲気は、当時の博多っ子のあこがれの的であった。
目の前で好みの肉を焼いてくれるオープンキッチンをはじめ、独立した各部屋のつくりの凝り方は驚くばかりで、部屋全体を赤松の丸太で囲んだ山小屋風のバーベキュールーム、スカンジナビア風の白壁の部屋、ヨットの気分ただようキャビン、そして落ち着いた貴賓室のたたずまいはケヤキの部屋。モンロー夫婦がお忍び食事に通ったのはこのVIP特別室だった。
ロイヤルの創業者・江頭匡一氏は城山三郎著「外食王の飢え」のモデルになった人で、それまでは個人事業でしかなかった食べ物屋稼業を、食の産業にまで高めた立志伝中の人であることはご存じの通りである。
さてモンローの晩さんはどんなメニューだったのだろうか。二人のサインが残る当時のメニューを、ボーイ長だった砂川吉弘さんが保存していて、その詳細を確認できるのはうれしい限りだ。まず前菜はシュリンプカクテル(小エビのカクテル)。レモンの絞り汁とチリソースで味わう。次のオニオングラタンスープはコンソメと焦がしたタマネギのスープにパンとチーズを加えてオーブンで焼き上げたもの。スープのおいしさは文句なしの絶品である。メーンのサーロインステーキを、レモンとガーリック・パセリの入ったメンテルバターを余熱で溶かして堪能すれば、デザートはピーチメルバ。当時は缶詰の桃を使ったそうだが、今はむろん生。メルバとはイチゴソースのことである。
このメニューの料金は千円。終戦から9年目の当時、大学卒の初任給が3千円だったというから、現在の値段に換算すれば7〜8万円に相当するという。「花の木」は現在大濠公園に移転していて、特別室にはモンローやディマジオが座ったいすが今も使われているから、興味のある方は座りに行かれたら良い思い出になることだろう。ちなみにオニオングラタンスープは2千円也、ちっとも高いとは思わせないおいしさである。
なお、この日本への新婚旅行中、モンローへの熱狂的な歓迎とあまりの人気にディマジオは気分を害し、二人の間に修復しがたい溝が生じる不仲の発端となり、9カ月後の別居、離婚へとつながっていったのは、なんとも皮肉なことであった。
「アメリカの恋人」「20世紀のセックスシンボル」と呼ばれたモンローは、ディマジオとの離婚後、アーサー・ミラーと結婚したもののやがて離婚。その後も常に浮名を流し続けた。彼女とのうわさがささやかれた男たちは、ケネディ兄弟、フランク・シナトラ、イブ・モンタン、チャーリー・チャップリンなどそうそうたる顔ぶれ。
1962(昭和37)年8月5日、彼女はロサンゼルス近郊の自宅で死去。全裸で電話の受話器を握ったまま、ベッドでこと切れていたという。睡眠薬の過度の服用が原因とされているものの、ジョン・F・ケネディとの関係などから、まことしやかにCIAの謀殺説などがとなえられたりもした。享年36歳、遺体は離婚後も彼女への愛を失うことがなかったディマジオが引き取って葬り、生涯にわたって墓参りを欠かすことがなかったいう。
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