2003年8月号80ページに掲載
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臼杵



立ち上がった臼杵商人

改装した赤穂屋呉服店(承応3年創業)
 まちづくりに老舗企業が結集ー石仏で知られる大分県臼杵市は440年前、大友宗麟が築城、江戸時代は稲葉氏5万石の城下町として発展、その町並みは今もほとんど変わらない。そんな古都のたたずまいをまちづくりに生かし、商店街の活性化とともに観光振興を図ろうと江戸時代から続く老舗企業を中心に臼杵商人たちが立ち上がった。

江戸期創業が10社も

「八町大路」と名付けられた中央通り商店街
 臼杵市の現在の町並みは稲葉家の歴代藩主が統治した江戸時代に形成され、当時は城を中心に商家が建ち並び、その外側を武家屋敷や寺院が取り囲むように整えられた。明治以降は西南戦争(1877年)で一部商家が焼失したものの、先の大戦では戦災に遭わなかったため、市街地の形状やたたずまいは江戸期と変わらないといわれている。
 そんな歴史ある町並みだけに地元産業もみそ・醤油といった醸造業や酒造業などの製造業が多く、今も伝統の味と技が営々と受け継がれている。
久家本店が出店した満寿屋
 臼杵商工会議所(会頭=小手川茂生・東九州石油会長)調べによると現在、市内に本社を置く江戸・明治・大正の3期創業の老舗企業は72社あり、うち10社が江戸期の創業で、最も古い会社は稲葉氏が臼杵城に入府した慶長5(1600)年に創業の可児醤油と友菊酒店。現在、それぞれ16代目、18代目が事業を引き継いでいる。また承応、天保年間創業の呉服店が2店あり、正徳2(1712)年から続く畳製造業者もいる。
 この10社は歴史の荒波にもまれながらもしたたかで、息の長い経営によって事業を継続、臼杵商人のリーダー格となってきた。

商店街活性へ一致団結

フンドーキン醤油が復活させた小手川商店
 臼杵市は国宝・臼杵磨崖仏をはじめ、臼杵城址など豊かな観光資源に恵まれていることや名物のふぐ料理人気もあって一昨年12月の東九州道大分−津久見間の開通以降、多くの観光客が訪れるようになったが、一方で市内の中心商店街は郊外店に客足を奪われるなど他都市同様に空洞化が進んでいる。そのため市や商議所は中心市街地活性化に向けた対策を検討、00年にまちづくり協議会を発足させるとともに、町中の建造物の有効活用を決めた。そして02年6月、蔵跡を利用した喫茶店「ポルト蔵」を開業、その運営は地元企業が出資した「まちづくり臼杵」が当たっている。
慶長5年創業の可児醤油
 さらに市や商議所では「まちづくりは町残し」の発想で古い町並みの再生と景観統一に乗りだし、中心商店街、中央通り商店街のアーケード撤去と電線の地下埋設を実施、道路の石畳舗装も今年春までに完了、商店街の愛称を「八町大路」と名付けた。
 中心市街地活性化と空き店舗対策には老舗企業が協力、例えば文久元(1861)年創業のフンドーキン醤油は同社ゆかりの野上弥生子文学記念館前に小手川商店を、万延元(1860)年創業の造り酒屋、久家本店は敷地内に満寿屋を開業、それぞれ臼杵らしい店づくりで郷土品などの販売を行っている。また、中央通り商店街の空き店舗には明治16(1883)年創業の富士甚醤油がアンテナショップ、富士屋甚兵衛を、同商店街入り口には大正6(1917)年創業の臼杵製薬が郷土民芸品などを販売する、かぼす工房を出店するなど他市に例を見ない取り組みを行っている。
富士甚醤油のアンテナショップ「富士屋甚兵衛」
 中央通り商店街には老舗と呼ばれる店舗が15店あり、うち8店が景観統一事業を実施及び予定、さらに2社が補助事業なしで独自で景観に配慮した店舗を構えるなど老舗企業の意地と底力を見せつけている。それでも商店街には後継者難などによる空き店舗があることから、商議所では空き店舗対策とともに後継者問題を重要課題として取り組んでいる。

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