2002年11月号108ページに掲載
▲扉に戻る

長崎特集・・・島原半島

全産業の復興を図る

「普賢岳」という新しい観光資源と共生し


日本で一番新しい山「平成新山」
<大見出し>

“がまだす計画”で再生する島原

 1991年6月に発生した雲仙普賢岳の噴火から11年以上が経過した。国や県による各種復興事業も順調に進み島原半島の地域経済は徐々にではあるが確実に復興している。
 一方で、同地区の基幹産業の1つである観光は災害の影響が残っていた91年当時に比べれば回復しているものの、90年以前の水準には戻っていない。しかし01年の観光客数は約650万人と佐世保市に次ぐ規模であるだけに、観光が地域経済の主翼を担う存在であるのは間違いない。
 島原半島の観光復興策は県や半島内の1市16町と民間が96年に策定した「島原地域再生行動計画」(愛称・がまだす計画)が基本となっている。「がまだす」とは、地元で「頑張ろう」を意味する言葉。島原復興の強い思いを込めた同計画は、防災工事や農地の災害復旧、交通体系の整備、産業の振興といった幅広い事業を対象にしている。観光面では同計画にある「島原半島広域観光ルート形成魅力アップ計画事業」を基に、島原半島を5つにゾーニングし、各エリアの特性を生かした広域的な観光ルートの創出に取り組んできた。
 具体的には(1)島原市を中心とする「火山を学び触れるフィールド」、(2)雲仙国立公園を中心とする「自然とやすらぐハイカラな街」、(3)半島北部の「家族で自然とたわむれる里」、(4)半東南西部の「海に遊び夕日を楽しむ海岸線」、(5)半島南東部の「ルイス・フロイスの道」の5つのゾーン。以下、島原半島を代表する2大観光地である島原市と小浜町における観光産業の現状を分析しながら、今後の振興策について検討する。 <小見出し> 

復興のテーマは“火山との共生”

 198年ぶりの雲仙普賢岳の大噴火でもっとも大きな被害を受けた島原市。現在の同市観光の特徴は、噴火災害による貴重な経験と新たに加わった観光資源を活用した“火山との共生”といえる。
 もともと同市は、島原城や武家屋敷、天草四郎時貞らのキリシタン哀史など豊富な観光資源を抱えていた。これに普賢岳噴火で形成された日本で一番新しい山「平成新山」、国内最大規模の本格的な火山博物館「雲仙岳災害記念館・がまだすドーム」といった新しい要素を加えながら、独自の観光資源を創出している。
雲仙岳災害記念館「がまだすドーム」
 今年の7月にオープンした「がまだすドーム」は、火砕流発生時の様子をCGや映像で紹介するコーナーや多くの展示品・模型などから貴重な体験学習の場としても活用されている。さらには平成新山の一大パノラマを望む「島原まゆやまロード」の整備や、被災建物を当時のままの状態で保存した「土石流被災家屋保存公園」と「旧大野木場小学校」があり、12月には平成新山の溶岩ドームや火砕流跡を展望できる「平成新山自然観察センター」が完成する。
 「観光だけに限ったことではないが、過去の事実は忘れる事なく次世代に伝える一方で、噴火によりできたものを新たな資源へと転換する努力」(島原温泉観光協会の大場正文会長)が島原市では芽吹いている。 <小見出し>

後遺症を払しょくして真の復興を

平成新山の間近を通過する「島原まゆやまロード」
 一方で、市民の間に「普賢岳噴火の後遺症は現在も残っている」という発言は多い。これは観光客数の減少(01年の観光客数は90年の78%)もさることながら、噴火前後で観光客の構成比が大きく変化していることを指す。
 例えば、全国地域別団体宿泊者数(島原市商工観光課調べ)は、噴火前の98年では1位が九州で33.9%、2位が関東で24.8%。以下、中・四国18.8%、中部・東海11.3%と続く。これが01年になると、1位は九州で変わらないが59.0%と割合が大幅に高くなっている。2位は中・四国の10.8%で8.0%減、関東は3位だが割合は9.5%と大幅に減少している。中部・東海にいたっては5.6%と半分近くにまで落ち込んでいる。
 この要因について大場会長は「全国で大型テーマパークが開業したことと旅行の『安・近・短』傾向が強まったことに加えて、特に島原では、安全性や復興のPR不足が大きい」と分析する。旅行代理店などを通じての宣伝・PRは実施しているが、なかなか浸透しないのが実情のようだ。
 さらに、普賢岳の噴火前後で変化した観光客の構成比で顕著な特徴は修学旅行生の激減だ。噴火以前、島原市には毎年、全観光客の30%前後の修学旅行生があった(90年は27%)。ところが普賢岳噴火を境にその割合は一ケタ台に低迷、01年では9.8%となっている。島原市では前述した「がまだすドーム」や平成新山といった体験学習ができる観光名所に加えて、歴史・伝統文化学習、農業体験学習といった島原ならではのプランの提供で新規開拓を進めている。これは修学旅行生の復活を期待した対策であるだけでなく、島原観光の復興にも大きなウエートを占めるだけに注目が集まっている。
 年間を通して温暖な気候や全国名水百選にも入った豊富なわき水といった“癒しのまち”としての観光客の誘致や、総合体育館や陸上競技場といった充実した運動施設などを活用したスポーツコンベンション都市としてのPRも実施している。普賢岳噴火の後遺症の観光資源への転換、新たな集客手段の創造により復興した観光産業がけん引役となって産業全体の底上げを図っている。 <小見出し>

特徴的な二つの温泉地もつ小浜町

雲仙温泉の名物「雲仙地獄」
 雲仙と小浜という趣の異なる2つの温泉郷をもつ小浜町も、雲仙普賢岳噴火の91年以降は観光客数が大きく落ち込んでいる。92年にやや回復し、以後4年間は若干の増減があるものの横ばい推移していたが、95年からは減少傾向が続いている。
 01年の宿泊客数は雲仙地区が60万4000人と前年比8.65%の減少。小浜地区は25万4000人と同3.04%減少した。この要因について同町企画観光商工課は、「00年に開催された『ながさき阿蘭陀年・島原半島キャンペーン』や『雲仙普賢岳噴火10周年復興記念事業』などの反動と、団体旅行から個人・ファミリー、小グループ旅行への転換が進んでいるため」と分析する。
 こういった傾向に対処するため小浜温泉では、官民が一体となって「高齢者や障害者に優しい街づくり」(同課担当者)がすでにスタートしている。例えば、00年にオープンした「小浜町ショップモビリティ情報センター」は、電動スクーターや車いすの無料貸し出し、付き添い観光を行うことを目的に設立されたNPO(民間非営利団体)だ。また旅館レベルでは館内のバリアフリー化を進めているだけでなく、旅館の女将と従業員ら約30人がホームヘルパー3級の資格を取得している。「観光客や宿泊客の増加に反映するには時間がかかるかもしれない」(同)が、小浜温泉の新しい魅力として定着すれば観光復興の有効な手段となる可能性もある。
庶民的な風情が残る「小浜温泉」
 同町の松藤壽和町長も「豪華なホテルも建ち並び高級感も漂う全国区の雲仙と、今も庶民的な風情が残る小浜という2つの温泉が同質を求める必要はない。業者の努力でそれぞれの特色を出して相乗効果を生み出せれば」と語る。

<小見出し>

集約型農業への転換進む島原半島

小浜町ショップモビリティ情報センター「ぽかぽか」
 観光エリア島原半島は長崎県の農業地帯という側面も持つ。99年農業粗生産額は568億円で長崎県全体の実に41.3%を半島内1市16町で上げている。現在は生産スタイルの転換が進んでおり、路地栽培ものからハウス栽培ものへと移っている。同時に、白菜やレタス、人参といった重量野菜に代わり、計量な軟弱野菜や花などへの産地転換も図っている。特に島原市では国や県による農業振興策もあり、農地区画整備・畑地かんがい施設の整備が一体的に進み集約型農業の推進につながっている。
 こういった実情を背景に、農業と観光をタイアップさせた事業の展開も進んでいる。半島内で農林業を営む生産者や各種団体、行政が一体となり農業振興を図ることを目的とする「がまだすアグリ王国事業」もその一例だ。同事業は、今後の新しい農業展開のあり方になろうとしているグリーンツーリズムの施策を積極的に展開しようとしている。長崎の農業地帯としての特色を生かした新しい観光型農業の創出はそこまで来ている。
 雲仙普賢岳の噴火という大災害が、島原半島振興の契機となり数々の復興策が急ピッチで実施されてきたが、これらをもとに今後は諸施策をバランスのとれた振興へと転換することが島原半島の一体的な浮揚になるといえる。

▲扉に戻る
●ご意見・ご感想・情報提供はこちら
  (尚、無記名・連絡先のないメールは削除されます)